脳死と臓器移植について我々は何を問うべきか
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
日本における脳死と臓器移植の真の問題点はどこにあるのかを探るのが本稿の目的である。そのために、まず、臓器移植法の成立状況とその改正問題を取り上げ、移植が他の先進国に比べて極端に少ない現状を打開するためには、臓器移植の条件を緩和することが必要であり、世論調査でもそれに同意する人が増えているが、真の問題はそこにないということを指摘した。日本での脳死の定義は、全脳の機能が「不可逆的に停止するに至った」状態である。脳死が人間の死とされるのは、この各臓器・器官の有機的統一が脳死によって崩壊するからであるとされてきた。ところが、シューモンによる「長期脳死」ないし「慢性的脳死」患者についての研究成果を見るならば、脳死になったらやがて心臓も停止するという立場は、もはやそのままでは通用しないと言うべきである。つまり、少なくとも小児脳死について脳死概念は崩壊したと言える。さらに脳死患者の実態については、脳死患者が人工呼吸器を外した時に動くラザロ徴候、臓器摘出時の血圧上昇が見られるなど、「生きた」反応があることが知られるようになってきた。それが単なる脊髄反射なのか、延髄機能が関わっているのかはこれからの研究課題である。日本での脳死判定基準についても、近年の研究の成果によって、基準そのものが不十分であることが明らかになってきている。今必要なことは、脳死に関する基礎的研究の推進とその成果の国民レベルでの共有である。それなしに臓器移植法の改正を推し進めることは、生者を死者として葬ることを社会的に容認することにつながると言える。