妥協なしに語られた真実 : 『船乗りビリー・バッド』における語りの転覆
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概要
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本論文は、ハーマン・メルヴィルの中篇小説『船乗りビリー・バッド』(1924)の語りの技巧を分析したものである。これまで批評家たちは登場人物の1人、ヴィア艦長に関する作者の立場について「受容派」と「皮肉派」に分裂し、解釈をめぐって論争を繰り広げてきた。本論文は「皮肉派」の立場をとり、ヴィアに対する作者の隠れた皮肉を、複雑な語りのテクニックの中に読み取ろうとするものである。第1章では、語り手がヴィアの高貴な人物像を構築していく過程を概観したうえで、微妙な揶揄によって、それを脱構築していく過程を詳細に分析した。ヴィアへの揶揄を読み取るうえで、他の登場人物クラガートとビリーとの比較検討を行った。第2章では、小説の最後の3章が、それまでの完結したストーリーを根底から覆すように意図されていることを論じた。この3章で、語り手はヴィアの自己欺瞞や歴史の歪曲化を暴露し、船員の詩的想像における真実を列挙することで、ビリー処刑の正当性を覆していると論じた。第3章では、軍艦の環境をめぐる語り手の分析的批判を詳細に吟味した。他の登場人物、老ダンスカーや従軍牧師への語り手の風刺を論じ、語り手が宗教的な立場から軍艦やそれが象徴する世界を批判していることを、他のメルヴィル作品との比較も行いながら論じた。
著者
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