ハーマン・メルヴィル「ベニト・セレノ」に関するポスト植民地主義的一考察
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概要
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本論文はハーマン・メルヴィルの中編小説「ペニト・セレノ」を当時の時代状況を反映したゴシック小説として解釈したものである。テレッサ・ゴジュのゴシック小説理論を用い、当時の支配的文化によって「他者」とされていた存在(南部、アフリカ人奴隷など)が小説でゴシック化されるという論に基づき、主人公の米国人アマサ・デラノが、スペイン人ベニト・セレノをゴシック化する過程、それに伴ってアフリカ人バボの人種主義的イメージを利用する過程を分析した。第1章では、独立期以来の米国におけるヨーロッパへのゴシック的イメージ(専制、病気、腐敗、消え去る過去、など)が1840-50年代に中南米の領有をめぐる敵国スペインに集中したという時代背景、そして、それを反映して、デラノが病的な独裁者のスペイン人というセレノに対する幻想をいかに作り上げていき、実際は奴隷反乱で演技させられていたセレノの本心をいかに誤解していたかを論じた。第2章では、デラノがセレノへの恐怖を和らげるために、無邪気な動物に近い存在、またミンストレルショウに登場する道化としてバボを見て興じ、精神的安定と米国人意識の確認のために利用していることをトニ・モリスンの理論を援用しながら論じた。第3章では、作者メルヴィルのバボに対する複雑な態度を分析した。一方で、メルヴィルは革命や自由への恐怖を表現するために奴隷反乱者バボを過剰に暴力的に描いているが、もう一方で、スペインの不当な植民地支配に勇敢に抵抗する知的なリーダーとしても描いている。バボの抵抗を、ホミ・バーバのいう、被植民地人による植民地支配者の「模倣」と「異化」という理論から分析し、メルヴィルがバボに仮託した抵抗の意義を評価した。最終的に、奴隷反乱を鎮圧した後でも、その反乱で明らかとなった、人種優越神話の欺瞞や抵抗の可能性については無知のままで自己満悦にふけるデラノを、作者はもっとも異様な(ゴシック的)人物として揶揄していると結論づけた。
- 2004-10-01
著者
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