キリシタン禁制高札撤去の背景 : 従来の研究の問題点を洗い直す(岸英司名誉教授追悼記念号)
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概要
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一八七三年(明治六年)二月二十四日をもって、全国に掲示されていたキリシタン禁制の高札が、撤去された。しかし、この時点においては、信教の自由が公認されたのではなく、キリシタン弾圧の法的根拠となっていた高札が取り除かれただけで信教の自由は黙認ということであった。しかし、この高札の撤去は一六一四年(慶長一九年)に始まったキリシタン禁制が、二六二年ぶりにその効力を失ったことであり、日本においては実質的には信教の自由獲得の出来事である。その後、一八八九年(明治二二年)二月十一日に発布された大日本帝国憲法、第二八条において「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス、及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」と、この憲法により日本国としては、はじめての信教の自由を保証した。
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