朝鮮通信使接待と田原藩
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概要
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近世の朝鮮通信使来聘に際し、田原藩の藩主三宅家と藩領村々農漁民が動員された事実は、現存する藩庁資料では、天和度、正徳度、享保度、延享度、明和度の五回について知ることができる。享保度以降は御用の種類において固定する。三宅家は道中の一定距離について鞍・皆具を提供した。藩領村々からは、まず新居の渡海のために、海辺村々の船が雇われて動員された。つぎに赤坂宿と吉田宿の休憩・宿泊の賄所へは、領内から鹿・猪・魚類が供出された。鹿や猪は狩りをして調達する場合があった。しかし、のちになると代金納で済まされた。その場合でも、供出物の品種名は明記されており、饗応の名目は整えられていた。最後に、人馬が提供された。人馬は代金で支払われたとはいえ、経済的負担は大きかった。来聘の全費用は、通信使の通行する国々から、事後に徴収する国役金でまかなわれたが、以上のように実際に動員される田原藩にとっては、格段の負担過重となっていた。
- 2001-03-31