今、再び「がん告知のあり方」を問う : キリスト教における死の教育の視点から
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概要
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序において先ず、主題の設定と研究の視点・アプローチに触れ、主題の適切性を述べておく。本稿の目的は、日本のがん告知のあり方の変遷を探り、キリスト教の死の教育の視点から今日問われていることを、自らの問題として受け止め、その問を掘り下げようとするものである。特に望ましい告知のあり方と告知のアフターケアの重要性に主眼を置く。第一章では、先達の欧米におけるがん告知のあり方を一瞥する。第二章では、日本における告知の動向を探る。第三章では、告知のあり方と現状を検討し、若干の事例から告知の功罪を探る。第四章では、告知の課題を明らかにし、望ましい告知のあり方、求められる医療チーム体制作り、人材養成に言及する。最後に以上を踏まえ、若干の提言を試みたい。
- 2007-02-28
著者
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