東アジア諸国の産業政策と日本企業の戦略的行動の進化 : 自動車企業を事例にして
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概要
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本研究は、東アジアに進出した自動車産業を事例にして、同じような制約条件下における企業間の戦略的行動の差異について、その要因を帰納法的に検討することを目的としている。60年代から70年代にかけて日本企業は東アジア諸国で生産活動を始めた。しかし日本企業の活動は一様ではなかった。本研究では、その差異を、生産システムの蓄積プロセスや組織風土なども含めた経営資源や組織能力の視点、さらに行動の促進・障害要因の有無について、トヨタ自動車と三菱自動車工業の戦略的行動を事例にして検討した。両社は、ともに小型車から大型車までの広いラインナップをもち、エンジン技術を核とした総合的な技術開発力を梃子にして海外展開してきた企業である。両社の発表された生産台数によれば、2004年の時点で、グローバルの生産台数はトヨタ672.4万台、三菱自136.7万台と生産規模に著しい格差がある。しかし、中国を含めた東アジア地域での生産台数をみると、2004年になってトヨタ64.7万台に対して三菱自51.6万台となったものの、三菱自は、東アジアでは歴史的に一貫してトヨタを上回る生産台数を誇ってきた。日本の自動車企業の生産システムは、考え方やその細部は企業によって一様ではない。両社の企業進化プロセスにはまったく異なる違いがあり、それが戦略的行動の著しい差異となって表れた。三菱自は、70年代になって三菱重工から分離誕生した。三菱自には、航空機生産によるエンジン開発力など戦前から製作所単位に分散・蓄積された優れた要素技術や生産システムがあった。三菱自は、遅れていた海外販売網の迅速な構築のためにクライスラー社と販売提携したが、この提携によって逆に欧米市場への直接的活動が不可能となり、独自に活動できる東アジアに注力せざるを得なかった。特に三菱商事との関係で、韓国、マレーシア、タイなどの東アジア企業に技術供与や出資を行い、また東アジアの閉塞的な産業政策下でBBC認定第1号企業として部品の域内相互補完を実現させた。また欧米市場が日本車への輸入規制が始めると、「迂回生産(輸出)」として、80年代にいち早く、タイをはじめとする東アジアから欧米市場へ完成車を輸出させた。トヨタは、トヨタ生産システムに代表されるように、製造から販売にいたる情報システムとして捉えられる統合的なメタ技術をベースとした組織能力の蓄積によって、効率化を実現してきた。しかし、60年代から80年代に至る東アジア諸国は、輸入代替工業化政策下の一国単位で極めて需要規模の限定された市場であり、トヨタのシステム統合的な組織能力を分断するような事業環境であった。トヨタは日本からKD輸出で対応するものの、BBCやAICOによってASEAN域内が一つの地域事業単位に発展する90年代まで、今日のIMVプロジェクトのような統合力による競争優位性を東アジアで発揮させることはなかった。両社の東アジアに対する戦略的行動は、「経営資源のパッケージ移転による内部化」とパッケージにこだわらない「デパッケージ移転」といえるほどの違いが存在した。
- 2006-09-30
著者
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