"可"について
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概要
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○時期:本論文を作成した時期(1954年)は、中國においては文字改革委員會の精力的な活動(例へば漢字の簡略化問題・〓音化草案の作製など)が本格化しだした年である。同時に漢語規範化問題がひきつづき言語學界で討議されてゐた最中であり、焦點は共通語の確立と普及に向けられた(因みにその翌年、全國文字改革會議では、共通語とは「北方語を基礎方言とし、北京音を標準音とする普通語-漢民族の共通語」であるといふ點で意見の一致をみ、「重點的隠歩前進」方針を決定した)。一方、わが國では、1946年創設の中國語學研究會において、敗戰前對立のままであつた中國語學の「小學」と實用語學(あるいは「支(シ)那(ナ)語」)とが急速に精算されはじめ、中國の抜本的改革の動向に大きく刺戟されつつ、言語科學の一分野に統一的に突入して行つた時期でもあつた。ことに學習者であつたわれわれ學生にとつて、混亂と低迷の中國語學における基本面の整理-漢語規範化の初歩段階-は當面の急務であつたと考へる。中國では、解放後「正確地使用祖國的語言、為語言的純潔和健康而闘争!」《人民日報》社論、1951.6.6.の呼びかけと同時に『語法修辭講話』が出現し、『語文學習』・『中國語文』兩誌の發刊を見、わが國中國語學を大きくゆさぶつた直後であつた。○對象:従来の文法研究が往往瑣末主義に奔り、規範化についての工作がおろそかであつたことが中國で自己批判されはじめると同時に、わが國の中國語學者間にも日本の中國語學・中國語教育の上で嚴しい反省が現はれた。私は、さう言ふなかで中國語の虚辭が、日本語の助動詞・助詞のやうに、その言語の持つ文法の基本構造の本質を具備してゐると言ふ考へを持ち、さらに言語の規範化に伴なふ非論理的な面の排除によつて、虚辭が好ましくない類別化をうけてその本質的機能が解明されなくなる傾向を恐れ(それは杞憂であつたことがのちに判かった)、思ひ切つて"最も話手の氣分に支配されて作用する"指詞"可"一字について、自分の考へた結果を述べてみようとして試みた。それが本論文作製の動機である。"最も話し手の氣分に支配されて作用する""可"を選び出す資料として、その言語の話して(informer)の生(なま)のことばを欲したが、望めず、定評のあつた老舍原作『龍鬚溝』焦菊隱《排演本》その他からカード化した文字(character)に據つた。○方法:從来の分類を目的とする品詞論は意識的に避け、文法上その機能と結合の關係から三大別に分類し、順次構造論的な、統一的に一貫した解釋を行ふよう努力した。ただ通時論的方法をとらずに、文言を引用して混亂を招く原因となつてゐるのは、我ながら醜いかぎりではあるが、この文言の引用は本文にもことわつたやうに現代語の構造をより明確にしうる何らかの示唆を得るための援用であつた。しかし、未熟な考への下でとりあつかつたこと(私は正式の指導教官は得られなかった。教養學部助教授工藤篁先生の助言に多く影響を與へられたやうだ)のため、審査教官(倉石武四郎教授・藤堂明保助教授(當時、講師))による傍白の注意書のやうに多くの缺陷が指摘されてゐる(-必ずしも承服するものばかりではないが)。とくに通時論的方法は、資料の檢討から文獻學的に問題にしなければならず、この論文では文言關係の面は除外して、現代北京語から一連の同類の語"倒""却"などと對比することも一方法であつたらうし、方言調査に立ち入つて純共時論的方法で統一した論旨をより詳細明確にしなければならなかつた、とも考へる。分類は、1)常に「表語」、述語、文-に先行して位置するもの。2)接尾辭"以"を伴なつて助動詞(「情意詞」)となるもの。3)習慣的用法として現はれるもの(接辭化したものを含む)。この中で解明の目標は、1)であつたが、構造論の上で統一して解釋を試みたことはいふまでもない。"可"と"所"との對比を、この言語の機能の合意(肯定)←→決意の系列で行ひ、(これには審査教官の承認はえられなかった)、"可"と"能""肯""願"との對比は、機能の合意(許可)←→「心願」の系列で行ひ、二面から"可"の機能的本質に迫つた。さらに指詞の考へを導入して、以下の結論を得た。○結論:"可"の本質が指詞としての機能:指示-限定-提示にあると考へられる。一般的作用として、"可"は、「話し手の主體的な意圖に關係的に」、恣意性を伴なつて、環境(situation)・「上下文」、關係文において、陳述を限定する。-話し手の氣分の上からは、意志的な肯定的斷定(=合意)とより小さい願望(=許可)を「表はす」。これを陳述(實詞)との結合關係においてみるならば、"可"を伴なつて「表語」を構成し、以下の陳述を、他を排除しつつ提示する機能をもつ。"なまのことば"に近い『龍鬚溝』に、それら以上の「可」(分類1)を中心とする)の多いことは、指詞としての機能をよく表はしてゐる。指詞は、"いきたなまのことば"の中にこそ、その固定化しない無定着な性格のままで、永く生きてきたのである。話し手の姿勢を最も強く、常に微妙に反映してゐる理由もここにある。逆に言ふならば、1)の指詞"可"の多寡によつて、現在中國語作品から、その使用言語の「生龍活虎」の程度を伺ひ知る一證となる。
- 2004-03-31
著者
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