Paradigm Lost? A Belated Response to Jarvis and Atselarat from Japan
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概要
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今回の発表は,2部編制の研究論文の前半(第1部)である。第1部,第2部共に,アジア諸国に顕在するEFL(外国語としての英語教育)を担う講師陣の先入観や,重要事項が周知されていない状況下での認識,見解を検証し,課題として調査をしている。今回の研究は,多分にアジアにおけるCLT(コミュニケーションに関する言語教育)方法論の適合性にAsian EFL Journalで異議を唱えたJARVIS, ATSILARAT両氏による最新の論文に起因していると思われる。我々がこれから実証して行くのは,既存のパラダイムや理論,理論体系,又それらに付随する方法論等を否認するものではあるが,単に否認することに止まらず,準備不足の手段で見出された曖昧な所見に基づくそれらを完全に退ける全く別のものである。論文の第1部は,広義でヒューリスティック・パラダイム(発見的探索法)に含まれる一連の理論と関連原則,論考等,我々の拠り所は,正確に解釈され的確に統合されれば,他地域同様に,現代のアジア諸国の文化的環境下でも,やはりCLT(コミュニケーションに関する言語教育)が適切なものであると信憑性を与え得る数々の文献の詳細総括となっている。次回のジャーナルで発表予定の論文後半(第2部)では,JARVIS, ATSILARAT氏の研究(タイ・2004),SAVIGNON, WANG氏の研究(台湾・2003)と,我々が日本で行った調査研究詳細の比較分析をし,その特徴の総覧と共に結論を導き出す。結果,それがアジア諸国でEFL(外国語としての英語教育)に携わる各位の心を和ませ,奮起させるものとはならなくとも,教育的状況の適度な調整で,CLT(コミュニケーションに関する言語教育)方法論の採用が,より容易なものとなるという見識を助長するものとはなるはずである。
- 千葉商科大学の論文
- 2005-09-30
著者
関連論文
- A Study of Learner Attitudes and Perspectives in Japanese Communicative Language Teaching EFL Contexts
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