日露戦争中の黄禍論の喧伝に対する日本側の対応
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概要
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19世紀末頃より西洋では、黄色人種の国家、なかでも中国と日本の勃興の脅威が「黄禍」論として声高に唱えられた。とくに黄色人種の国家日本と白人種の国家ロシアとの戦いであった日露戦争においては、「黄禍」の脅威をめぐって、国際論争が起こった。本稿は、「黄禍」の脅威を説く言説である「黄禍」論に対して、日露戦争中、当時の日本人がどのように反応したかを論じながら、その特徴を明らかにするものである。まずは、日本国内での反応、とくに森鴎外、島田三郎などの「黄禍」論に対する反駁を取り上げ、その内容を吟味する。ついで、海外における日本人の反論を雑誌や新聞を一次資料として明らかにする。当時の日本人は、日本を文明国としてアピールすることにより、この脅威論を払拭しようとしたが、同時にその反論は多分にナショナリズムを包摂することになった。また、日本は日露戦争を経て、文明国あるいは強国として西洋で認知されるようになるが、その評価には、好意的であってもなくても、異質性という特質が付与されることになった。本稿における議論には、拙著『イ***ー・ペリルの神話帝国日本と「黄禍」の逆説』(彩流社、2004年)を始めとして、すでに日本語での諸論文で明らかにした内容も含まれている。また、本稿は2003年に脱稿しており、その原稿を基にして、ブルガリアの学術雑誌『戦争史論集』(2004年、第2号)で、ブルガリア語の翻訳が出版されている。その書誌情報は、以下の通りである。Акира ИИКУРА, "Японският отговор наидеята за жълтата заплаха по време на Руско-японската война", военноисторически сборник, Военно издателство бр.2.2004また、その電子版は、http://www.vi-books.com/vis/vis4_2/11.htmで見ることができる(2006年1月現在)。
- 2006-03-20
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