尾州織物-大正期のセル地のデザイン性について
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概要
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尾張地域は、大正期に着尺セルとして、全国の約9割を生産していた。この時代の現物資料や生地見本帳を調査した。明治期に輸入品として流行したため、国産品であっても見本の装丁はローマ字がもちいられ、外国風のものであった。しかし、洋服ではなく、和服地として用いられることから、縞模様が一般的であった。当初は色使いも暗いものが多かったが、次第に明度の高い色彩も用いられた。縞も単純なものから途中でぼかしがはいるようなものまで、より複雑なものへと変化している。日本人の開発した国産の機械で織られた布地であるが、このような努力の甲斐なく、その用途が、お洒落着に限定されたため、昭和初期の統制の影響を受け、結果として破綻してしまった。しかし値段や着用期間にもかかわらず、和服地として毛織物を定着させるため、尾張地域が残した功績は大きく、結果として昭和期の復興もこの努力の成果であった。
- 2005-12-21
著者
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