アフマド・アミーンの文明論
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概要
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アフマド・アミーンは,西洋文明を吸収する多くの機会には恵まれなかった。フランス語は小学生の時学んだだけで,英語は26歳の時学習開始(但し4年後には英文哲学入門書をアラビア語に翻訳出版するまでになる),またヨーロッパを初めて訪れたのは,彼がすでに45歳になってからであった。アミーンにとり西洋文明を学ぶ機会としては,書物を読破し,カイロの大学でヨーロッパ人教師の講義を聴き,ヨーロッパから帰国した留学生や知識人と交わる他なかった。彼の基礎教養はアズハルとイスラム法学院で身につけたイスラム諸学であったことは明らかである。しかしアミーンは常に感情よりは理性を重視すべしとし,公正さと論理的思考を重んじる姿勢で一貫し,近代西洋文明の重要な要素である合理性や実証性を身に付けていたと言えよう。この姿勢はアミーンの文明論でも堅持され,「精神性」に満ちた東洋文明を「物質主義」的な西洋文明より高く評価しつつも,結論としては西洋か東洋かと言う二分論を越えた「人間的文明」の創造を提唱した。彼の文明論の要点は次のように纏められよう。「東洋と西洋は地理的区分ではなく,それぞれが持つ特徴で区別されるが,東洋文明と西洋文明もそれぞれ固有の特質がある。文明は一歩ずつ完成へ進むのではなく,時々の人間が欠如していると感ずる側面を新たに満たすべく,次世代の文明が生み出される。精神面に欠陥のある西洋文明に代わり,人間的文明を希求する所以であるが,これは東洋が良くなし得るであろう。」科学に基づきつつも,感性や人間の福利を重視する「人間的文明」の呼び掛けは,その独自性にもかかわらず,当時の民族主義に吹き荒れるアラブ世界とその敵対性に警戒心を強めていた西欧世界の双方から葬り去られた。イスラムと西洋世界の関係が,共産主義世界崩壊後次のイデオロギー抗争として新しい光の下に注目され出している現在,アミーンの文明論もエジプト知識人による貴重な思想的産物として,再発掘の価値があるように思われる。
- 日本中東学会の論文
- 1994-03-31