プルーデンスとフロネーシスの間(II.人文・社会科学系)
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概要
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自由主義的な近代は,哲学であろうと,法律学,政治学,経済学だろうと,行為の主体を,<prudence>という功利主義的な実践知性から理解して自明なこととしている。その行為構造は,ひとは,快の最大と苦の最小の集成体(aggregation)としての幸福を追求するものであり,そのための手段の選択に関して有効に熟慮(deliberation)して偶然を排除し,自由な選択を行うというようなものである。これはいわば損益計算に終始するような行為主体のことをいう。これが自由な主体といわれ,また利害の主体とも呼ばれている。しかし,この行為の形だけが行為のすべてを尽くすわけではない。自分の力ではいかんともしがたい偶然性に開かれた脆い人間の行為の形も存在するのである。これを,アリストテレスのいう<phronesis>を範型にして,功利主義的な近代<プルーデンス>に対して<フロネーシス>として対置させる。功利的<プルーデンス>の起源と,<フロネーシス>の非功利的意味の理解を狙う。
- 2006-02-28
著者
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