建安の「寡婦賦」について : 無名婦人の創作と詩壇
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概要
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はじめに 後漢末・建安時代は,詩壇と称すべき詩人集団が史上はじめて形成され,曹操政権の下に集った詩人たちは,題詠・応酬等の組織的文学活動を活発に行なった。「寡婦賦」はそのような詩壇における作品群であり,曹丕・王粲・丁の妻の作とされるものが現存する2。曹丕は他に「寡婦詩」を作り,曹植にも同題の詩が残っている3。曹丕の「寡婦賦」と「寡婦詩」を見比べると,制作の背景を述べた序文が同じ趣旨であり,本文の内容・形式にほとんど差異はない。したがって,曹丕・曹植の「寡婦詩」も,「寡婦賦」と同じ題材の作品であり,「寡婦」をテーマにした一連の詩賦作品が一時に会詠されたと推察される。 「寡婦賦」で特筆すべきことは,丁 の妻という,史伝に記載がない無名婦人の作とされる作品が残っている点である。もしそれが婦人の手になる作品だとすれば,建安文学にしめる女性作家の位置が窺われ興味深い。 しかも,一無名婦人の制作と伝えられる「寡婦賦」の作品水準は,同題の諸作と比べ出色である。そのことは,次の2点曹丕・王粲の「寡婦賦」本文が断片的にしか残っていないのに対し,丁の妻作とされる作品は,亡佚が少なく原形に近いかたちで伝えられていること。また,西晋時代の潘岳は,特に丁 の妻作とされる「寡婦賦」を意識し,それを下敷きにしたと見なしうる,同題の賦を制作しているという事実からも想像できよう。 「寡婦賦」は,建安文学に多く詠われる,「女性」を主題とした作品の一つである。だが,それを女性みずからが制作対象として取り上げたとすれば,いかなる経緯によるのか。またそれは,どのような意義を持ちうるのか。建安の文学における「女性」は,表現対象としてだけでなく,創作の担い手として,文学史に位置づけることが可能であろうか。小論は,丁の妻の制作とされる作品を中心に建安の「寡婦賦」を取り上げ,建安文学の形成に関わる「女性」について考察したい。
- 2005-02-22
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