ケニア農業発展における中農層と技術浸透
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概要
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植民地支配下において,ケニア人農民は土地略奪および低資金での労働収奪を強制されながらも,むしろそれ故に,その矛盾を止陽する主体として創設された入植中農層が,植民地地代にヨーロッパ人農場で蓄積された技術を,一般中農層を通してケニア人小農全般へと継承・波及させるる媒介項の役割を果たしたのであった.こうした論点は,原住民経済とヨーロッパ人経済が並存する二重構造論として,あるいはそこでの収奪構造を「中心部」対「周辺部」といった固定化した図式として把握するのでなく,伝統的経済-共同体-が資本制部門によって温存・利用されながら,しかも同時的に破壊・再編成されるという動態的な視座に立つものである.しかし,これらの仮説を十全に実証するにはまだ多くの残された課題がある.
- 千葉大学の論文
- 1989-02-28
著者
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