The Waste Landにおけるヒヤシンス挿話での沈黙
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概要
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『荒れ地』は,不毛の内面世界を描いた詩である。その中で一瞬の愛の輝きが回想される場面がある。ヒヤシンス挿話である。そこで主人公が見つめた「光」と,その後に訪れた「沈黙」について,次の3点から考察した。1)ヒヤシンス娘,2)荒れ地の雷鳴,3)ピロメーラー神話と詩人。そして,以下の結論に達した。ヒヤシンス園から帰った主人公は,光の中心を見つめて,神秘的な何かを期待する。だが,沈黙があるのみで何の答えもなく,絶望してしまう。その後も主人公は,内面の牢獄に閉ざされたままであり,精神の荒廃は続く。しかし愛を共有することさえできれば,牢獄のドアを開けるチャンスがあると理解する。最終部で雷神の声が聞こえたようにも解釈できるが,そのような神秘を描いた詩ではない。T. S.エリオットは現代の荒れ地を詩に描き,そこで生きる意味を自問する。そうすることで,結局は,沈黙する神(そしてミューズ)との対話を続けていた。その結果,雷鳴を箴言として受け入れることができるようになる。
- 2004-03-30
著者
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