もうひとつのヘミングウェイ : ねじれた友情
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概要
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アーネスト・ヘミングウェイ (1899-1961) は、1937年から38年にかけて内戦中のスペインに報道員として四度赴いた。伝記研究によれば、ヘミングウェイは内戦中、おもにドイツや東欧からの義勇兵によって構成された第12国際旅団とよく付き合っていたとされる。同国人のアメリカ人義勇兵たちとの交流はあまり知られていない。さらに帰国後、『誰がために鐘は鳴る』(1940) が出版されると、エブラム・リンカン旅団帰還兵の会 (VALB) は徹底してヘミングウェイを攻撃して、絶交となった。そのためもあってヘミングウェイと元アメリカ人国際義勇兵との帰国後の交流はほとんどなかったと思われている。半ば隠れた書簡等の資料を用いて両者の間には屈折した関係があったことを述べる。
- 山形県立米沢女子短期大学の論文
- 2003-12-26
著者
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