一元的アジアと多元的アジア
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概要
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「アジア」という言葉を最初に用いたのはヨーロッパ人であるとされる。地理的にも歴史的にも多様で広範な「東方の地」(「オリエント」)全域を「アジア」と一言で表すのは実に不自然なことであるが、この言葉から、アジアがヨーロッパ人にとっては異質な「非西欧」社会であり、自分たちのアイデンティティーを映し出す鏡として、また無視できない存在として意識されてきたということが読み取れる。今日ヨーロッパ人のアジア観は、19世紀以降盛んに唱えられるようになった、専制君主政治を基礎とした「アジア的生産様式」によるところが大きい。そのアジア的生産様式は、集団を重視し個人の自由を抑圧した結果、アジア社会がヨーロッパに遅れをとり長期的な停滞に陥ったとする説であるが、第二次大戦後の東アジアにおける経済発展によって、その「専制君主政治」なるものは、1993年に世界銀行が発表した"The East Asian Miracles"(『アジアの奇跡』)にも見られるとおり、「開発独裁」と衣を換えることで、社会的な資源の合理的配分のシステムあるいはダイナミック・アジアの原動力として賞賛されることになっている。もちろんアジアの多くは今なお戦乱と貧困に喘いでいるが、ヨーロッパ人のアジア観が東アジアの経済発展によって幾分変化したのは確かである。ただそのアジア観は、アジア的生産様式や開発独裁などと終始一貫しで一元的なものである。一時劣勢にあった一元的アジア観が、東アジアの経済発展によって、多元的アジア観を凌ぐ勢いとなってきているが、「アジア」がもともと、世界をリードしてきたヨーロッパ人によって一元的に客体化される存在である以上、それは当然の帰結とも言える。アジア研究も多元的なアジアの研究と称して分断して行なわれるべきではなく、欧米人の近代合理主義精神に沿い、欧米人と協同して行なわれるべき性質のものである。
- 2004-01-31