現代詩と抒情の宿命
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概要
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現代詩のさまざまな様態, あるいは現代詩の置かれている状況を視野に収めようとするとき, ひとつひとつの作品に遂一あたり, それら作品の産みだされた周辺を洗い出す作業が等閑に付されてよいわけではない。なぜなら具体的な創作の場においてこそ, 個々の作品は産みだされたままの形姿で息付くのであって, 詩作行為が本当に具体化されるのは, そうした個有の場においてだからである。しかしながら, 凡ゆる詩作品を参看することはもとより不可能なことであるし, 現代詩を概観するに便利と思われるアンソロジーの類も, 作品の取捨選択に際しては, 意図のあるなしに拘らず編者の詩観が如実に現われでてしまうため, それらをもとに現代詩を一望の下に収めるのは容易なことではない。そこで本稿では, 現代詩 (文学) の動向を窺ういくつかの論評を手掛りとし, 現代詩, とりわけ抒情詩はどんな様態を強いられており, また, いくたりかの研究者はいかなる視点からどのような判断を下しているかを考察し, もって現代抒情詩の行方を概観する一助にしたいと思う。
- 中京大学の論文
- 1974-01-25
著者
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