意欲なき学生群を前提とするひとつの教育理念
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概要
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学習意欲が欠如している大量の学生群を相手に,はたしてどんな授業が可能だろうか。私見によれば勉学意欲をもたぬ学生相手の現下一般の授業は,「ごっこ授業」であるか 「多数派黙殺(見殺し)授業」の二つしかない。両者はともに本物の教育とは言えないが,少なくとも前者については,これを単に否定するのではなく,積極的に評価すべきである。たとえば見かけ上は多少の努力や勉強(一例。インターネットで検索させる)を要求し,それなりの達成感や満足感を味あわせつつ,じつは予習も復習も必要ではないため学生にとっては全然なんの苦労もない授業を想定してみよう。いわばただの遊びに過ぎないこうした授業(勉強ごっこの「ごっこ授業」)には,どんな学生も容易に授業参加が可能である。しかしその結果,授業自体に対する関心が芽生え,その中からさらに本格的な勉学を志すものが必ず現れるとすれば,こんにち我々に可能な唯一の教育は,この方法による以外ないのではないか。我々としても伝統的な授業に対する未練は断ちがたいものがあるが,現状を直視し,敢えてこの「ごっこ授業」をより効果的に推進すべきである,と私は考える。
- 千葉商科大学の論文
- 2004-03-31
著者
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