大庭みな子の『浦島草』におけるディスプレイスメント : <第三の場>を求めて(木山英雄教授退職記念号)
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概要
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大庭みな子(1930年〜)は、「三匹の蟹」(1968年)や『浦島草』(1977年)などの作品の中で、現状に満足できず、さらに、自分の存在そのものへの違和感を抱える者たちを主人公に据えている。その主人公たちは、しばしば外国で生活を営む者であり、その姿は漂流する旅人にも重なる。本稿では、『浦島草』における地理的、文化的、時間的、言語的、ナラティブ的なディスプレイスメントに注目し、アイデンティティを疑問視する大庭の姿を明らかにしていきたい。大庭の年譜を辿ってみると、まさに彼女白身が歩んできた人生がディスプレイスメントというメタファーで表現できることがわかる。まず、広島への原子爆弾投下直後、被爆者救済活動に動員されたことは、彼女のその後の人生に強い影響を与えた。大庭はそのトラウマとなる絶望的な原爆の経験を『浦島草』で描いた。そして、1959年にアラスカ州に渡り、その後、約11年間をアメリカ大陸で過ごした。混交的な文化を特徴とするアラスカでの生活は、大庭にとって「国家」と「アイデンティティ」の関係を問いかけるきっかけとなった。このように、放浪や移動という言葉なしには語ることができない大庭の人生は、作品のテーマと深く関わっている。『浦島草』で、男性と女性の欲望と狂気が、戦争をめぐる歴史的時間と、アメリカ・広島・東京・新潟というそれぞれの空間に複雑に絡み合っている。主人公の雪枝は12歳の時に留学生としてアメリカに渡り、23歳になって日本に帰国し、異父兄の森人とその家族が暮す東京の家に身を寄せる。日本で出会う血縁者たちの記憶の世界に入り込んだ雪枝は、その家族一人ひとりの物語を受け継ぐ。そして、小説の最後には、雪枝の兄とその家がたった一晩で煙のように消えてしまうという魔術的リアリズムを思わせる手法も取り入れられている。現実と幻想の境界が混濁する場所でこそ大庭は歴史を語り直すことができる。その語り直された時空間は、国家やアイデンティティといった既成の枠組みが無効化されている<第三の場>ともいうべき新しい空間となっているのである。
著者
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