時と権力(I) : 中国共産党根拠地の記念日活動と新暦・農歴の時間
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概要
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中国共産党(中共)根拠地において,中共の権威創出と宣伝・動員のために行われた,新暦の記念日と農暦の民俗利用に関する政策について,国民政府や日本・傀儡政権の政策との関係,前線の根拠地と陝甘寧辺区(陝区)との関係,抗日戦争末期から内戦期にかけての民俗利用政策の変化などの論点を通じて分析した.抗日戦争期の中共根拠地においては,1939年頃まで国民政府の記念日構成が比較的尊重され,国民政府の権威にもとづく中共政権の正統性が主張されていた.太行・太岳根拠地の記念日構成と民衆組織の形式は,現実の統一戦線を反映して,国民政府の形式により忠実であった.39年末からの国共関係の悪化以後,国民政府系統の記念日活動の多くが停止され,中共独自の記念日構成による権威の創出が進められたが,民国の法統を示す記念日は引き続き重視された.新暦の時間と記念日を農村へ浸透させる方策については,農業の生産リズムに配慮した記念日の配置,農暦の民俗の新暦への採用,農暦の節句と重なる日取りの利用などが,前線の根拠地で先行して行われた.農暦の時間は,個別家庭の行事としての性格の強い諸節句に村の共同性を付与させつつ,農民の記念日,村の記念日としての意義をもって利用された.1945年から内戦期には,人生儀礼も組織して,迷信の領域に積極的に踏み込んだ儀礼の組織と動員が行われ,大胆な農暦の民俗利用が展開するが,低位の節句は個別に利用されるに止まり,農暦の時間が総体として制度的な認知を受けたわけではなかった.また,節句などによる村の生産の組織化の試みや,地域の「翻身記念日」,村による人生儀礼の組織は継続性に乏しく,これらの儀礼を通じた村の凝集力の強化は確認できない.中共は農暦の民俗・心性の改造も意図して農暦の時間を利用したが,その統制は困難であり,新暦の時間にも中共が忌避する農暦の民俗が持ち込まれていた.
- 2005-03-31