成朝、運慶と源頼朝
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概要
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文治元年(一一八五)に建立された勝長寿院は、源頼朝が鎌倉に建てた初めての本格的寺院であり、その後も鎌倉時代を通じて幕府に重んじられた。その本尊像制作を任されたのは、一般に奈良仏師と称される一派に属し、それまでほとんど実績の知られていない成朝であった。鎌倉幕府と奈良仏師の結びつきの発端となったこの仏師選定は、その後の鎌倉文化の展開に大きな影響を与えており、その重要性を再認識する必要がある。そこで、本稿は、鎌倉幕府関係造像の先駆けであるこの仏師選択の理由について検討した。その結果、従来繰り返し説かれてきたいくつかの主要な理由は、いずれも無理があると判断された。そして、頼朝の行動理論を分析し、加えて成朝の言上書に新しい解釈を加えた結果、頼朝が成朝は定朝の正系であると認識していたことが最大の理由ではないかと推定されるに至った。その上で、改めて勝長寿院における仏師選定のあり方が示すところを考えたところ、頼朝個人の論理に基づいて決定されたこの選定は、将軍独裁とも呼ばれるこの時期の政治体制とも軌を一にしており、極めてこの時期らしいあり方であることを指摘した。さらに、翌年の北条時政による願成就院の造仏に運慶を起用した理由についても、併せて解釈を提示した。
- 2004-03-30