近代日本文学の誕生(2) : 死にゆく子規とロンドンの漱石、往復書簡から創作へ
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概要
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明治という時代の誕生と子規、漱石という個人の誕生、その人生は重なる。そして、日本は西洋文明を必死に吸収し列強に屈せぬ力をつけようと、日清日露戦争への道を歩んでいく。その間、松山の元下級武士の子で上京した子規と、江戸の町衆の家に生まれ英語をよくし後に英国留学することになる漱石とは、東大予備門で出会い互いの人柄才能に引かれてから十数年間、書簡を交わし互いの詩文を批評し、影響を与え続ける。二人は生い立ち、性格も異なり、ともに漢文、漢詩をよくし伝統的詩文に才能を発揮しながらも、ことに西洋文化、思想の受容の仕方において、自らの文学の求め方において違いをみせるようである。広く西洋の思想を学ぶ必要を説き、東西文学を公正に批評して文学を求めようとする漱石と、文学の実践創作を重んじ新聞紙上で俳句を中心に和歌の批評と文学運動を展開し、一般の日本人にありのままの生活を写す写生文を広めようとした子規は、しばしば論争を展開する。その子規は日清戦争に従軍しながら帰国語に喀血し、入院後、英語教師として松山にいた漱石の元へ転がり込むが、傍若無人な子規を受けいれながら、このとき漱石が俳句を作り始めた意義は大きい。すなわち、二人の差異と衝突、対話、それを支えた友情の証ともいえる往復書簡の中で、次第にそれぞれの文章の創造的変化、新しい文学が形作られていった。本論文は、二人の文章の中にその軌跡を見出し、その過程を明らかにする。ロンドンからの手紙は、百年前の世界一の大都会で、英語を自由に話せないストレス、恥辱、偏見、貧窮、疎外感に苦しんだ人間、漱石の姿を伝え、同時に、労働者階級の人々の人間性に触れた漱石の熱い想いやユーモアが脈々として、すでに一巻の文学である。一方、東京・根岸の子規庵で脊髄カリエスの苦しみに耐えていた子規は、ロンドンの漱石の手紙を無上の喜びとし、もう一通こんなのをよこしてくれまいかとねだるが、狭い病床から死の直前まで草花、人間、あらゆる生と青空を見つめ、写生文の中に最後まで命の輝きを求めていた。漱石の主張した「思想」と子規かたどりついた「写生」。すでに英文学者、漱石の皮は破れ、人間小説家、漱石がはじけ出ようとしていた。そこに行くまでの、二人の十数年間の往復書簡が織り成す友愛、尊敬、批評、人間性、その思想と実践がたどった文学創造の過程は、東西を超え百年を超えた意味をもつ。
- 2004-12-20
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