ホモイ=ナジのベルリン時代 : 1920-1923 : 行動主義「MA」とホモイ=ナジの関係(2)
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概要
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本研究はモホイ=ナジの芸術理念を正しく理解するために、その理念が確立された初期活動に焦点をあて背景を探ることを目的としている。著者はこれまでハンガリー時代の活動について調査し、その結果モホイ=ナジが「行動主義」の運動に少なからず影響を受けたことが明らかとなった。本稿では、ハンガリー=ソビエト共和国の崩壊によってベルリンに亡命したモホイ=ナジが、1920年から23年の間の機械技術と芸術を結びつけた「構成」の概念に到達するまでの過程を追い、グループ「MA」との関係を明らかにする。本稿では特に雑誌『MA』に焦点をあてたが、それは、これが国際的なアヴァンギャルド雑誌へと成長し、広範な芸術運動のネットワークの媒介としてヨーロッパ全体の芸術家の交流と発展に重要な役割を果すようになるからである。そしてモホイ=ナジとカシャークは写真映像という国際的に共通の視覚言語による近代グラフィック・デザインのひとつの形を生み出すのである。それは行動主義者たちが目ざした芸術の民主化であった。
- 1997-09-30
著者
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