宮廷語論の諸相 : TrissinoとCastiglione
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概要
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16世紀言語論争における宮廷語派として最初に名前が挙がるのは、Vincenzo Colli(1460〜1508)俗称イル・カルメータ(Il Calmeta)だといえます。この人物は宮廷語論を最初に唱えた人物とされており、ピエトロ・ベンボも『俗語読本(Prose della volgar lingua)』(1525)において、このイル・カルメータの宮廷語論を取り上げ批判を加えています。しかし彼の言語論とされる『俗語詩についての9巻(Nove libri della volgar poesia)』は、16世紀中に失われてしまい、現在、彼の言語論の全貌を明らかにすることは出来ません。それにしても1世紀足らずで、宮廷語派の重要な論客の著作が失われてしまったという事実は宮廷語論の運命を象徴しているともいえます。周知の通り、言語史的に16世紀全体を通してながめた場合、ベンボの唱えるアルカイズムが主流として受け入れられ宮廷語論は鳴りを潜めていったわけですが、その主たる原因として、それが具体的な言語モデルを持たなかったことが挙げられます。その点から言えば、あくまで理想論に留まったといえるのかもしれません。具体的な言語ではなく、当事の知識人のひとつの精神的態度の表明であったかとも思われます。しかし具体性は持たなかったものの、言語モデルの設定への試みはなされたといえるでしょう。結局有力な議論とは成りえなかった訳ですが、宮廷語派の歴史的位置付けを明確にしようとすれば、当時の他の流れ、特に主流となったアルカイズムとの関わりにおいて捉え直す必要があるのではないかと思われます。本論では、宮廷語論の代表的人物とされるトリッシノ G.G.Trissino(1478〜1550)とカスティリオーネ B.Castiglione(1478〜1529)の論を取り上げて、アルカイズムとの関わりから捉え直してみる事にします。さて先に述べたように、イル・カルメータの言語論は残されていないわけですが、ベンボなどからの記述に依りますと、イル・カルメータの言わんとしたのは言語の折〓主義であり、それを実現しているのがローマ宮廷で話されている言葉であるということだったようです。この折〓主義こそが宮廷語派の共通する特徴というべきものでした。イル・カルメータの言語論に宮廷的(cortigiana)という形容詞がついたのは、彼がローマの宮廷を想定していたからでしたが、トリッシノやカスティリオーネらは彼らの言語論が折〓主義をとっていたがために、こう総称されるようになったといえます。宮廷語論とは折〓主義の別名でもあるわけです。この特徴こそが、ひとつのモデルを前提とするベンボのアルカイズム(14世紀のペトラルカ、ボッカッチョを模範とする)、フィレンツェ知識人たちによるフィレンツェ口語主義などと、宮廷語派を区別する決め手であるといえます。しかし、この折〓主義の内容についてはトリッシノ、カスティリオーネそれぞれ相違しており、個別の検討が必要とされると思われます。
- イタリア学会の論文
- 1992-10-20