『PROSE』におけるベンボの文学的構想
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概要
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1530年、カルロ5世の皇帝載冠式に際し、イタリア各地のみならず、全ヨーロッパから王侯貴族、宮廷貴婦人、知識人、芸術家等が、その後のイタリアの運命を象徴するといってもよい、この儀式に参加するため、ボローニャに会しました。この時、参列者の中で、当時の言語論争において、トスカーナ語派の立場にあった、クラウディオ・トロメイは、志を同じくする友人フィレンツォーラに言語問題についての会議招請の件について手紙を書き送っています。フィレンツォーラよ、あの会議のことを覚えているか。我々の言語についての問題を解決するために、ローマでかって、それを開こうとした時のことを。しかし、あの時はイタリア中に散らばっていた多くの学識者を一挙に集めることが出来ず、我々は断念させられた。今ここにもう一度、提案するのは、この言語の導き手であり、教師であるベンボがここに来ている以上、この千載一隅の好機を逃す手はないと思うからだ。(V. Cian, 1885, p. 151より引用) ベンボが必ずしも主張を同じくしないトロメイによって、このような評価を受けていた事実は、ベンボの主張が単に言語論争の枠を越えた時代の意識そのものに受容される内容を含んでいたといえるのかもしれません。このようにトロメイによって「集約であり、基本である」(同書簡)と言われたピエトロ・ベンボはその言語論とでも言うべき、『PROSE DELLA VOLGAR LINGUA (俗語読本) 』(以下『PROSE』と表記)を著していますが、これは、その後の文学表現を大きく方向づけ、16世紀を通じて大きな文化的影響を与え続けた書物であります。本稿では、『PROSE』を執筆したベンボの意識の中の、文学の量的拡大の発想の存在を、『PROSE』本文の読解を通しながら、また出版業、宮廷女性といった、当時の文学をめぐる物理的状況との関連からも明らかにしてゆきたいと思います。
- 1988-10-30