ペトラルカのモラリスム : 雄弁の問題をめぐって
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
久しく埋もれていた研究を真によみがえらせたのは自分であり、自分こそは新文学への道を切りひらいた者だという、はっきりした自覚、および、それにともなう誇りこそは、老ペトラルカがなおも文学研究に燃やしていた激しい情熱の、より深い根源だったのではあるまいか。そして、若い世代に新文学への情熱をたきつける燃えさしとなることに、はかり知れぬほどの生きがいを感じていたのではあるまいか。だとすれば、かれの情熱をほんとうに理解しうるには、どうしても、かれのいう「われらの研究」なるものについて、具体的な理解をふかめることが必要となる。が、これは、ペトラルカ文学のほとんど全貌にかかわることがらであって、容易なことではあるまい。そこで、ここでは、雄弁(eloquentia)の問題を手がかりに、かれのいう「われらの研究」について、ささやかな理解をこころみたい。というのも、雄弁こそは、かれの文学研究のたましいの鼓動を、まざまざと伝える一音符ではないか、との予感があるからである。かれが生涯キケロに傾倒しつづけたのも、せんじつめれば、キケロの雄弁に惹かれたからだと言えよう。晩年、かれはつぎのように語っている。「いまでもやはり、詩人たちや哲学者たちの書物を読んでいます。なかでもキケロのものを読みますが、とくに、その天分と文体とには、若いころからずっと惹かれてきました。かぎりない雄弁、優美なことばのもつはかり知れない力を、わたしはそこにみいだすのです」(De ignorantia ; Prose, p.724)。ところで、かれのたずさわった研究がどういうものかを知る手がかりとして恰好のものは、『後世への書』に記されたつぎのことばであろう。「わたしの天分は、鋭いというよりは、しなやかなものであって、あらゆる健全な良い研究に適していました。が、とくに傾倒していたのは、モラルの哲学(moralis philosophia)と詩(poetica)とでした。年をへるにつれて、わたしは、詩をなおざりにして聖書(sacrae literare)に惹かれてゆき、そこに、かってはうとんじていた秘められたる慈味をあじわいとるのでした。そして、詩はただ、飾りとしてのみ保たれていました」(Posteritati ; Prose, p.6)。してみると、老ペトラルカが情熱を燃やしていた「われらの研究」において、積極的役割をはたしていたのは、モラルの哲学および聖書研究ではなかったかと想像される。が、聖書研究もしくは神学については、「幾世紀にもわたってなおざりにされていたこのわれらの研究」というふうには言えないであろう。そこで、モラルの哲学こそ、ペトラルカのめざす新研究において、その中心的役割をはたしていたのではないか、と思われるのである。では、モラルの哲学を中心とするこの新研究と、さきの雄弁とは、どのようなかかわりがあるのだろうか。
- 1961-01-30
著者
関連論文
- ヨーロッパのヒューマニズム
- ペトラルカのモラリスム : 雄弁の問題をめぐって
- ペトラルカのボローニャ遊学(一三二〇〜二六) : ペトラルカにおけるヒューマニズムの形成(III)
- ペトラルカのボローニャ遊学(一三二〇-二六) : ペトラルカにおけるヒューマニズムの形成(II)
- ペトラルカの最初の学習(一三〇四-一三二〇) : ペトラルカにおけるヒューマニズムの形成(I)