マキアヴェリとヴェットリの交換書翰に就いて
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概要
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ニッコロ・マキアヴェリNiccolo Machiavelliとフランチェスコ・ヴェットリFrancesco Vettori関係の書翰は管見に依れば、例のVillari, Life and Times of Niccolo Machiavelliの第二巻を始めMachiavelli Gesammelte Schriften(以下M・G・S・と記す)の第五巻や校訂一〇巻本のOpere di Niccolo Machiavelliの中に若干収録せられているが、本稿に於いては専ら前二者を参照して、特に一五一三年マキアヴェリ隠棲後数年間の交換書翰を中心に愚見を述べてみたい。ヴィラーリの第二巻の本文と下欄の註に両者間に交換せられた私信の一部が引用せられているが、それ等の中には後述のM・G・S・には収録登載せられていないものも散見しており、又ヴィラーリ著の一、二巻共イタリア語の附録にはマキァヴェリ関係の公私の文書類が登載せられているが、ヴェットリとの交換書類は全然見当らないのである。尚この附録にはマキァヴェリ関係の書翰の出所として、フィレンツェの記録保存所にあるCarte del Machiavelliやパルマ及びブレシアの図書館にあるマキァヴェリ自筆の書翰を挙げているのである。又ヴィラーリに記されていて、M・G・S・には登載せられていないマキァヴェリとヴェットリの交換書翰はヴェットリ宛のものが二通、マキァヴェリ宛のものが八通、計一〇通となっている。次にM・G・S・には逆にヴィラーリに登載せられていないマキァヴェリ関係の書翰をも併せて七九通が収録せられており、その中ヴェットリ宛のものが圧倒的に多くて約三分の一の二五通を占め、彼がサン・カスティアーノSan Castianoに隠棲した一五一三年三月から死の二ヶ月前まで、即ち一五二七年四月までのものを含んでおり、次いでヴェットリからマキァヴェリ宛のものが一一通を占め、従って両者間の書翰が計三六通即ち七九通の約半数を占めているのであって、而もこの三六通の中で一五一三年のものが一六通、一四年が一一通、一五年が一通、二六年が二通、二七年が四通、外に日付けの無いヴェットリ宛のものが二通となっている。而も一五一三-一四年代が二七通で圧倒的に多く、一六年以後は中絶し、晩年に又再出、従ってこの二七通はマキァヴェリ隠退直後の動きなり両人の関係を知る上に、貴重な資料となり得るのである。以上ヴィラーリとM・G・S・に収録せられているマキァヴェリとヴェットリ間の交換書翰数は重複を避けると結局、ヴィラーリ所載の一〇通と後者所載の七九通を併せて計八九通となるが、以下これ等の書翰の若干を引用しつつ、便宜上最初に大体私的内容のものに就いて、次に公的主題のものに就いて述べてみたい。
- イタリア学会の論文
- 1957-01-31
著者
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