アメリカ人の見たイタリア : 『イタリア論』のためのノート
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概要
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前書き 先に私はイギリス人、フランス人がイタリアをどう見て来たかについてそれぞれ小論でそれを跡づけてみたのであるが、本論ではアメリカ人はどのようにイタリアを見、イタリア人を見てきたかを跡づけてみたい。ヨーロッパ人であるイギリス人やフランス人にとってイタリアは、ルネサンス以来ヨーロッパ文明の長子で、そこから学び、模倣し、時には反発する源であった。ただ時代が下がると共に文化面でも政治経済の面でもイタリアの衰退は、かつて偉大な創造の国であり、現在は過去の栄光に守られた博物館になってしまっていると見るにいたった。それにしても自分の文明を顧みるとき、イギリス人もフランス人もその起源を求めて旅立つ先は長い間イタリアであった。それに対しアメリカ人にとってイタリアは何であったのか。ヨーロッパを否定し新大陸へ渡った人々がつくり上げたアメリカ合衆国は、18世紀の末にようやく国家として独立し、アメリカ人という存在が可能になった。そのアメリカ人にとってイタリアはヨーロッパの人々のように自分の文明を生み出した直接の親としての意識は薄い。かつて偉大な国でそれを学び模倣したという感覚はない。イタリアへ旅し始めたのも18世紀の末からで、すっかり衰退したイタリアへ行ったのである。正に博物館としてのイタリアを知ったにすぎない。そういう目でアメリカ人は何を見、何を考え、何を得たのであるか。
- 1995-10-20