サルヴァトーレ・モレッリ(1824-1880) : ある左派議員の生涯
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概要
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序.モレッリをめぐる研究状況 サルヴァトーレ・モレッリは、統一直後のイタリアで下院議員となり、離婚法や女性の法的地位の改善を先駆的に提案した人物である。当時の議会で相手にされず、歴史研究からもなかば忘れられかけていた彼の存在は、第二次大戦後に至って再び見いだされた。イタリア女性運動史研究の草分けであるF.ピ***ーニ・ボルトロッティが、離婚法や女性参政権など女性の権利にかかわる諸法案をイタリア議会史上初めて提案した民主主義者として、モレッリを紹介したのである。1960年代後半には、イタリアにおける社会主義運動の誕生をたどったA.ロマーノが、モレッリを、バクーニンとの接触によってマッツィーニ主義から離反し、社会主義へと接近したナポリの旧民主派の一人として簡単に紹介した。そして1960年代末には、P.C.マシーニがモレッリの小伝を発表し、その生涯がおおよそ明らかとなった。その後、モレッリは、自由主義期の女性運動や反教権主義に関する研究の中では言及されてきたものの、彼自身を研究対象として扱った文献は皆無であった。ところが、近年になって、モレッリ研究は一躍活発化した感がある。まず、1985年には、モレッリの著作やモレッリに関する研究文献の収集等を目的とした「サルヴァトーレ・モレッリ研究センター」(Centro Studi Salvatore Morelli)が、彼の故郷カロヴィーニョ(プーリャ州ブリンディジ県)に設立された。1990年4月には、同センター主催の「19世紀イタリアの政治及び文化におけるサルヴァトーレ・モレッリ」と題した会議が、カロヴィーニョで開催された。さらに、同年10月には、カッシーノ大学や「大学における女性学研究のための大学間委員会」(略称CISDU)等の主催により、より大規模な国際会議がカッシーノで開催された。のちに出版されたこの会議の報告集は、最近のモレッリ研究の集大成ともいえる。本稿では、これらの研究成果を踏まえ、日本ではこれまでほとんど知られることのなかったモレッリの思想と活動を紹介しよう。
- 1995-10-20