イタリアにおける女性労働者の保護立法(1883-1902)
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概要
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19世紀後半の西欧諸国では、女性や児童の労働の保護を目的とする、いわゆる保護立法が相次いで成立した。資本主義の発達が相対的に遅れていたイタリアでは、後述するように、1886年ベルティ法によって初めて児童労働の保護が実現され、女性労働の保護はさらに後の1902年のカルカノ法によって法制化される。こうした立法化の動きにともない、女性労働の保護は参政権の獲得とならんで19世紀末から20世紀初頭にかけてのイタリア女性運動を特徴づける課題となった。ピ***ーニ・ボルトロッティは、この女性労働者の保護立法をめぐる当時の議論を、社会党のイデオローグとしても名高いアンナ・クリショフと、女性運動のパイオニアであるアンナ・マリア・モッツォーニの間で行われた論争(1898年)を中心に検討している。さらに、A・ブッタフオーコは最近の研究において、エミリア・マリアーニなど同時代の他の女性運動家の姿勢を明らかにしつつある。一方、O・アントッツィの論文は、こうした女性運動の側の対応にとどまらず、社会党の動きや労働運動内部での議論をも視野に入れた点で、現在でも有益であるといえる。これらの先行研究をふまえ、本稿では、まず従来の研究においては思想的検討という視点から扱われてきた保護立法をめぐる議論を、当時の女性労働の実態との関わりにおいて考察する。さらに、女性運動だけでなく社会党や総体的な労働運動の反応も視野に入れながら、女性労働の保護がどのような論理のもとに要求されたのかを論じていくこととしたい。
- 1993-10-20