John K.Brackett:Criminal justis and crime in late Renaissance Florence 1537-1609. Cambridge University Press, New York, 1992, pp.160.
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概要
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フィレンツェ史の研究が14〜15世紀の共和国時代に集中しているいっぽうで、16世紀に始まる君主国の研究が圧倒的に手薄であることがしばしば指摘されてきた。しかしA・アンツィロッティの先駆的な研究をはじめとして, ここ20年ほどの間にE・コクレーン、E・F・グァリーニ、F・ディアツ、G・パンシーニ、R・B・リッチフィールドらの労作が世に出て、少しづつではあるが研究の空白を埋めつつある状況である。なかでもメディチ君主国家の政治構造に関する研究の出発点となったのは、上記のアンツィロッティの学説である。彼はコジモ1世時代の政治構造を法制史的に分析し、コジモ1世が次々と改革を断行して絶対主義的な中央集権国家体制を創造したと主張した。ところがこれに対して、例えばグァリーニは中央と地方の関係を分析するなかで、地方には中央権力の届かない雑多な勢力が存続していたことを指摘し、またリッチフィールドはフィレンツェ内においても共和制度のかなりの部分の存続と支配階層の連続性があったことを指摘した。アンツィロッティが16世紀に社会的断絶を認めたのに反して、グァリーニとリッチフィールドは別々の研究結果から、社会的断絶を18世紀の啓蒙主義的改革の時代まで引き延ばし、それ以前の15〜17世紀の連続性に注目したのである。従ってアンツィロッティ説を断絶説、反アンツィロッティ説を連続説ということができるが、問題は16世紀に何がどの程度連続し、何がどの程度断絶したのかということである。かつて評者は、共和国市民の間で平等に分配されていた短期交替官職の多くが君主政下でも存続するいっぽうで、そうした複数の混乱した短期交替官職の上に、君主は非フィレンツェ人・非貴族の法律家からなる終身官職を新設して集権化をはかるという、連続性と断絶性のせめぎあいの諸相を整理したことがある。その際にそうした大雑把な整理ではなく、来るべき研究では短期交替官職のひとつを選んで具体的な活動状況を調べる必要があることを痛感した。それというのも短期交替官職は君主国の内包する共和国の遺制であり、その存在自体が集権化を指向する君主政と矛盾するものであるから、君主国におけるアンツィロッティ的な「絶対主義」の度合いを測る恰好のバロメーターになるはずだと考えたのである。このような研究史上の経緯から、君主政下における短期交替官職の「監視とバリアの八人会」(Otto di Guardia e Balia)のモノグラフである本書『刑事司法と犯罪』を手にしたときには、してやられたという思いを抱くと同時に、著者ブラケットの問題設定が評者のそれとほとんど同じであったことから密かに快哉を叫んだ。出るべくして出たという感慨を深めたのである。しかし本書の出現にはもうひとつの研究史上の系譜があることも忘れてはならない。M・フーコーやP・デイヨンを嚆矢とする歴史犯罪学もしくは犯罪の社会史と呼ばれる系譜である。この種の研究は主にアンシャン・レジーム期のフランスを対象に蓄積されてきたが、14〜15世紀のフィレンツェ共和国に関しても、R・トレクスラー、M・ベッカー、S・コーン・Jr、H・マニコウスカ、そしてA・ゾルジと、単発的ななら、まったく研究がないわけではなかった。このような研究史の二つの系譜の交差点上に本書は誕生した、と評者は理解している。
- 1994-10-20
著者
関連論文
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