〈無意味さ〉と〈ノンセンス〉 : ブッツァーティの幻想についての一考察
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概要
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〈幻想的〉(fantastico)という形容がなされる文学作品は、しばしば〈不安〉や〈恐ろしさ〉といった感覚と結びつく。これらの感覚は、作品がたまたま採り上げる心理的主題、あるいはその結果として作中人物や読者の内面に喚起される心理的効果であるだけでなく、この種の作品の構造に本質的に内在するものであり、文学における〈幻想〉を成立させる原理と密接不可分な関係にある。なぜならば、〈不安〉や〈恐怖〉は、日常的現実の枠組みのなかへ、それを否定する何か異様なもの、理解しがたいもの、超自然的なものが侵入する場合に引き起こされる感情であり、そうした現実と非現実が対立相克するありさまを物語によって具象化、定式化するものが〈幻想文学〉に他ならないからである。具体的にみれば、現実に対置される〈非現実なるもの〉の設定の仕方、描写の方法は、作家、作品によってさまざまであり、それによって〈不安〉や〈恐怖〉の内容、〈幻想〉の実質も異なってくる。本稿では、現代イタリア文学の代表的な幻想小説作家、ディーノ・ブッツァーティの作品について、〈非現実なるもの〉の導入の方法、〈不安〉や〈恐怖〉の発生のメカニズムと機能という視点から分析を試み、彼の作品における〈幻想〉の特質を考察したい。論を進める前に、まず、〈幻想〉という用語について簡単に整理しておく。〈文学における幻想〉、〈幻想文学〉の概念は、広くは現実世界を越えるような想像的事物の言語による表現一般を指し、ファンタジーや妖精物語などの〈驚異〉物語からゴシック小説などの〈怪奇〉物語に至る幅広い種類の作品を含むが、これを限定的に定義づけようとする論者、例えば、トドロフなどによれば、超自然の事象がいわば約束事として躊躇なく作中人物や読者に受容される〈驚異〉や、超自然的な異常な出来事に対して結局は合理的な説明がなし得る〈怪奇〉は、〈幻想〉の範疇から除外される。つまり、狭義の意味での〈幻想〉とは、自然の法則の支配と超自然の法則の支配のあわいにあって、夢とも現実ともつかぬ、どっちつかずの宙吊りになった領域を意味するのである。一枚岩的な現実(とわれわれが思っているもの)の背後に、別のリアリティの存在を感知し、それを明るみに出すことを意図する〈幻想文学〉は、歴史的には、近代的自我意識と科学の発展に裏打ちされた合理的な知の確立を俟って生まれたと考えられる。合理的・科学的認識に支えられた白日の世界に、闇や混沌の別世界から超自然や非合理な力が闖入することによって、現実世界が、見せかけの信憑性を失って変貌し、脅かされるというのが、幻想的な物語の伝統的で基本的な図式である。つまり、幻想文学とは、堅固で唯一絶対と思われる日常的世界の彼方に、もうひとつの世界を想定するような二元的な(あるいは多元的な)リアリティの意識、境界性(リミナリティ)の構造を前提として成立するのだが、そうした世界を仕切る境界が突き崩され、未知なるものが侵入し、異領域が出現することによって、既存の秩序が揺らぎ破壊される瞬間に呼び起こされる感覚、それが〈不安〉や〈恐怖〉であると言ってよいだろう。そして、このような幻想的衝撃は、超自然的事象の実在性の容認または合理的解釈によって〈驚異〉や〈怪奇〉の領域に回収されるか、あるいは、〈詩的〉または〈寓意的〉解釈によって中和化されない限り、現実を脅かす力を保ちつづけるのである。では、ブッツァーティの場合、〈幻想〉はどのような契機に基づいて成立するのであろうか。ブッツァーティの作風に対しては、〈幻想的〉という形容が半ば常識のように用いられるが、注意すべきなのは、彼に作品の性格は実に多様であり、その多くは、先に説明したような厳密な意味での〈幻想〉の範疇にかならずしもあてはまらないということである。例えば、物語の中に幽霊や悪魔が登場したり、動物への変身のような非現実的な要素が存在しても、それがお伽噺のような形で当たり前のように語られる場合は、形式的には〈驚異〉の範疇に属するし、幻想物語というよりも、時間や人生のような抽象的実体を表現する〈寓意物語〉(アレゴリー)としての性格が強い作品も見られる。また、事物の異常さや超自然性ではなく、叙述の曖昧さや暗示的な表現の積み重ねによって生まれる情意や雰囲気が作品にある種の非現実性、〈幻想的な〉効果を与えている場合もあろう。ブッツァーティ自身は、文学における〈幻想〉(il fantastico)を「詩的な目的のために人間によって想像される、存在しない事物」と定義づけている。「想像される」、「存在しない」といった表現は、かなり多様な文学に当てはまり得るが、実際、この言葉が指し示す〈幻想〉の範囲はかなり幅広く、かならずしもトドロフ的な幻想に限定されないと理解すべきだと思われる。
- イタリア学会の論文
- 1994-10-20