ペトラルカの女性像 : 『アフリカ』第5巻の場合
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概要
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1.はじめに 詩人ペトラルカの真の代表作が『カンツォニエーレ』であることには、異論を差しはさむ余地はない。しかし、彼がもっぱら抒情詩の世界に耽溺していたわけではないのも、また周知の事実である。一時代を画する偉大な文献学者でもあったペトラルカは、古典文学に見られるあらゆる分野の著作に挑戦して、古代の作家たちを凌駕しようと努めた。たとえば、キケロを意識しての『親近書簡集』、ホラーティウスを踏襲した『韻文書簡集』、ウェルギリウスに範を取った『牧歌』、ウァレリウス・マクシムスを念頭においた歴史書『記憶すべき事ども』、テレンティウスに倣った喜劇『フィロロギア』(散逸)などがそれに当たる。このようにペトラルカは多方面にわたる執筆活動に手を広げたわけだが、彼は戴冠式前の若かりし日々、ローマの偉大を賛える作品を書こうという野望に取り憑かれる。この漠然とした計画は、後に影のような名声で一世を風靡することになるラテン語の叙事詩『アフリカ』として結実する。ペトラルカが桂冠詩人の栄光を手にすることに成功したのは、『カンツォニエーレ』が認められたからではなく、『アフリカ』の詩人として嘱望されたからに他ならない。もっとも、1341年の戴冠式の時点では、個々の俗語詩はともかく、現在のような『カンツォニエーレ』の体裁を取った「詩集」は影も形も存在しなかったのだから、戴冠式当時の世人が『カンツォニエーレ』の詩人としてのペトラルカを評価することを期待するのは、いささか時代錯誤な要求ではあるのだが。確かに『アフリカ』はある種の古典作家よりも上を行っていると評される場合すらもあるにはあるが、実際にはこの作品は叙事詩としては失敗作である、という事実は素直に認めるのが良いであろう。だが桂冠詩人の名誉をかけて全力を傾注して取り組み、また、桂冠詩人の代表作であると衆目が一致して認めた『アフリカ』は、詩情ペトラルカの意識から完全に消え去ることはなかった。そのため、『アフリカ』で取り上げられている関心事が他の詩作品にも登場することも稀ではない。たとえば、『アフリカ』第9巻の"エンニウスの夢"と『牧歌』第10エグロガの"詩人歴訪の旅"との間の交錯はその一つの例である。そして、このような関心事の重複は、何もラテン語による諸作品の間に限られるのではない。そこにはラテン語・俗語の境界線など存在しないかの如くである。『カンツォニエーレ』や『トリオンフィ』を読む際に『アフリカ』を考慮に入れておくと、俗語作品だけを読んでいたのでは見落としがちな事項にも光を当てることが可能になる。そこで本稿では、『アフリカ』と『トリオンフィ』の双方に現われる"マッシニッサとソフォニスバの悲恋"のエピソードを軸として、マッシニッサの心理描写とソフォニスバの容姿の描写を概観し、最後にラウラの容貌について若干の考察を試みることにする。最後に『アフリカ』について若干の補足を加えながらまとめておこう。『アフリカ』はペトラルカ自身冒頭で述べているように(Africa, I, vv.50-52)、古典の叙事詩(ウェルギリウス、ルカーヌス、スタティウス)に匹敵しようとして書かれた叙事詩である。しかし実際には、彼にとって近い過去に書かれた『アレクサンドレイス』を打倒したかったようであり、9巻構成という数に関しても、第4巻と第5巻との間に大きな欠落があるので断定的なことは言えないにしても、『反クラウディアヌス』や『アルキトレニウス』といった中世の9巻物の叙事詩が想起される。本稿ではマッテーオのヘレネー像やゴッフレードの美人像とソフォニスバ像との、意図(恋愛物語を本当らしく見せるため)および形態(amplificatioを適用した詳しい描写)上の類似を見てみたが、この点からも『アフリカ』が実は先行の中世文学の影響を免れていなかったことが看取されるであろう。のみならず、ソフォニスバの外観がラウラのそれと意外に似ていることからは、ラウラの身体部位の形容は詩人の独創や写実的観察によって書かれたというよりは、むしろ中世文学の流れを受けたものであることが分かった。そして、『アフリカ』第5巻の初めに置かれたソフォニスバ描写がいかに冗長であったとしても、これに続く物語の劇的な展開やマッシニッサの迫真の心理描写にはペトラルカを読むことの醍醐味がある。『アフリカ』第5巻は、文学作品にいわゆる近代性や自我意識を期待せずにはいられない読者にもその期待を裏切らない小品である、と言って良いかも知れない。
- 1994-10-20