Benedetto Cotrugli Rauseo : Il libro dell'arte di mercatura. a cura di Ugo Tucci, Venezia, 1990, pp. 261.
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概要
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過去の著作(家)を研究するさいには、信頼できる校訂版を用いるのが学界の常識とされている。そうしたテクストが存在しない場合はともかく、利用できる状況にありながら不備の多いテクストによって議論を展開すれば、研究者としての良識を疑われかねない。とはいえ厳密な校訂版の出現が、その著作に対する従来の認識を一変させてしまうことは実際にはまれである。皮肉な見方をすれば校訂版の有無は、研究者がその主題を避けるための口実として、あるいはみずからの研究に学問的装いを施す手段として利用されるにすぎず、作品の評価には関係ない場合が多いとすらいえよう。しかし、ときに校訂版の出現が、その作品に対する従来のイメージをがらりと変えてしまうこともある。本書はそうしたまれな例の一つである。本書の著者ベネデット・コトルリは大方のイタリア研究者にも未知の人物と思われるので、略歴を紹介しておこう。彼は1416年頃、ダルマティア沿岸の都市ラグーザRagusa(現在はドゥブロヴニクDubrovnik)の商人の家に生まれた。名前の最後に付されたRauseoとは「ラグーザの人」の意である。商家に生まれながら彼は青年時代は学問にこころざし、ボローニャ大学で法学を学んだ。しかし本書でみずから述懐しているように、「うるわしき哲学的思索のきわみにおいて研究から引き離され、やむをえず商業に従事することになった」。その理由は詳らかにしないが、彼が読書と研究に未練を残しながら商人の道に入った人物であることは、後述するような本書の二面的性格にも影をおとしている。商人としての彼は1440年代以降、カタルーニャからの羊毛輸入に従事している。1450年代初めに活動の拠点をナポリに移してからは、当時この地を支配していたアラゴン朝宮廷との関係を深めていき、アルフォンソ1世、フェランテ両王のもとで要職を歴任した。その一方で祖国ラグーザとの関係は金銭問題をめぐって険悪化し、ついには事実上の追放状態のまま1469年に生涯を終えた。ナポリにあった1458年に彼は『商業技術の書』と題する本書を著した。彼の作はほかにもいくつか知られているが、今日伝わるのはこの一書のみであり、この一書によって彼はかろうじて後世にその名をとどめることになったのである。本書は4巻からなり、第1巻では商業の定義、起源から始まって信用取引、為替、簿記などの商業技術の細部におよぶ。第2巻は商人の宗教的義務を論じる。とくに微利をはじめとして教会の禁令に抵触するおそれのある取引に詳しい。第3巻は商人の市民的義務、学問、道徳、礼節のありかたを扱っている。最後の第4巻は家政論で、家の経営、妻や奉公人への対し方、子供の教育についての助言である。このように全4巻中、商業そのものにふれるのは第1巻のみで、第2巻以下は道徳論、教育論、家政論の性格が強く、ここには「研究に心血をそそいだ」彼の青年時代の成果が披露されている。それゆえ本書は大きくみれば第1巻と第2〜4巻の二部構成といってもよく、これまでの研究も経済史はおもに第1巻を、文化史・思想史は第2巻以下を対象としてきた。しかし私見によれば、本書が特異なのはこの二面を合わせもち、両者を巧みに融合させている点にある。こうした例は同時代にも、少なくとも完成された形では他に類がない。またこの二面性ゆえに本書自体が執筆後、特異な読まれ方をされることになった。しかしこの点は最後でもう一度ふれることにしたい。
- 1993-10-20
著者
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