コトルッリ・ペリ・サヴァリ : 「完全なる商人」理念の系譜
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概要
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「貨幣の国際共和国」とは聞きなれない表現だが、これはA.デ・マッダレーナの造語である。彼によれば近世初頭、絶対主義諸国家の成立と時を同じくして、これら諸国家の上にそびえ立ち、国境をこえた共通の利害と強い連帯性でむすばれた商人の共同体が姿をあらわしたという。彼はこの共同体をあえて「国家の上の国家」、「貨幣の国際共和国」とよぶ。この「共和国」には固有の領土も明文化された法も存在しないが、成員を律する厳しい規範、外部からの脅威に対する相互防衛の組織、さらには成員の共有する高度の商業・金融技術、一定の行動様式や「哲学」などは、この共同体に国家類似の相貌をあたえるにいたった。この「共和国」は成立期の絶対主義国家の上にそびえ立ち、これらと深くかかわりながらも、これらに対抗しうる独自の「国家理性」と倫理をそなえていた。この「共和国」は16世紀のヨーロッパに突如としてあらわれたものではない。その淵源は中世後期の北イタリアにある。すでにダンテとボッカチオの時代、遠く外地に赴いて冒険的な商業を営む商人たちの間には、都市や地域の違いをこえた共通の利害や規範、行動様式が生まれつつあった。やがて彼らは、各地の大市に代表される金融市場の発展と国家財政へのかかわりをつうじて相互の連帯を深め、16世紀にこれがまったき姿をとってあらわれたのが、ほかならぬ「貨幣の国際共和国」なのである。近世初期のヨーロッパ諸国の商人たちの間に、共通の経済的利害や行動様式をつうじて形づくられたある種の連帯性が存したとは、これまでにもしばしば指摘されてきたところである。だがこの連帯性に「共和国」という大胆な表現をあたえ、その輪郭をうきぼりにしてみせたのは、おそらくデ・マッダレーナがはじめてである。たしかに大胆な仮説であり、示竣にとむとはいえ、彼自身副題で「根拠なき仮説か、支持しうる学説か?」とことわっているとおり、いまだ学界で十分な承認をえたものではない。むしろこれは、研究の末に到達した結論というより、それに向けて研究者の関心を挑発する発見的視座と考えるべきであろう。そう考えるならこの説は、ひとつの作業仮説として、近世初期経済史の意外な一面に光をあててくれるように思われるし、本稿もひとつにはこの説に想を得ている。とはいえ、この説の当否を正面から問うのが当面の目的ではない。デ・マッダレーナはこの「共和国」のひとつの属性として、成員(=商人)に共通する技術や知識、倫理、はては哲学の存在をあげている。いま少しポピュラーな表現でいいかえるなら「理念」、あるいは「心性」といってもよい。はたして彼のいうように、「共和国」の商人に通有の「理念」や「心性」なるものを語りうるのであろうか、これらをもって「共和国」存在のひとつの証しとしうるのであろうか-私のこれまでの研究の延長線上で、この問いに側面からアプローチしてみるのが本稿の目的である。こうしたアプローチにひとつの手がかりをあたえてくれると思われるのが、一般に「商売の手引」La pratica di mercatura(以下「手引」と略称)とよばれている史料群である。「手引」とは、ひとことでいえば、商人が商いをすすめてゆくにあたって必要とした知識、情報、技術の類を、独特の方法的基準によってまとめあげた一種のマニュアルであって、13世紀のイタリアで生まれ、14・15世紀には一個の著作ジャンルとして確固たる伝統を形成した。商業史史料としては、編集による産物としての性格上、他の一次史料に一歩をゆずるものの、叙述の体系性と包括性は他に類をみない。「手引」とは、いってみれば、西欧諸国にさきがけて早熟な発展をみたイタリア商業文化の粋を集めたものなのである。
- 1987-10-30
著者
関連論文
- コトルッリ・ペリ・サヴァリ : 「完全なる商人」理念の系譜
- Benedetto Cotrugli Rauseo : Il libro dell'arte di mercatura. a cura di Ugo Tucci, Venezia, 1990, pp. 261.
- 中・近世イタリアのユダヤ人金融 : 対立と共存をこえて(久志本秀夫先生追悼号)
- 「声の影」 : 西欧中世の説教資料 (関隆志名誉教授退任記念号)
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- ペトルス・ヨアニス・オリーヴィ『自由討論集』第1巻より第16問題,第17問題試訳
- ジャン・ファヴィエ著, 内田日出海訳,『金と香辛料 : 中世における実業家の誕生』, (春秋社, 一九九七年六月, 五七〇+四頁, 六五一〇円)
- 森田鉄郎著, 『中世イタリアの経済と社会 : ルネサンスの背景』, 山川出版社、 一九八七年九月、四八九+二六頁、八、〇〇〇円
- 西欧・南欧(中世,ヨーロッパ,2005年の歴史学界-回顧と展望-)