メディチ体制とアラマンノ・リヌッチーニの批判 : 彼の『自由をめぐる対話』の意義
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概要
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論者は先に、「フィレンツェ的自由」(Florentina libertas)を考察する機会を得た。近年の研究を踏まえながら、フィレンツェ史における自由概念の意味を分析し、二人の高名な書記官長、コルッチョ・サルターティやレオナルド・ブルーニの自由観に検討を加えてみた。コシモ・デ・メディチからロレンツォ・イル・マニフィコの時代-フィレンツェ史上、時に「事実上の僭主制」と評される-におけるこの問題は、彼ら以後の課題として残された。この課題は、一見、結論が見えている時代の自由が問われているように思われる。この時代、メディチ家の祖父から孫の世代にかけて、彼らが心砕いた政治制度の改変は、自由の漸進的喪失をもたらし、フランチェスコ・グイッチャルディーニがその『フィレンツェ史』で述べているように、早い死が国制を変更し「終身ゴンファロニエーレ」になることを妨げたにしろ、結局は僭主のようにロレンツォは統治した。中世以来の共和政治は広範な市民の政治参加と自由を保証していたのに対し、メディチ一統への権力集中はこれを過去のものとしていく専制体制の時代であり、自由は抑圧されたというのが、一般的了解であろう。したがって、研究者は自由なき時代の自由を問題にしなければならないことになる。厳しいロレンツォ裁定に対し、半世紀前に、近代の自由と民主主義の観点から彼に迫ることに警告を発した、雄弁で極めて論理的な弁明書、パルマロッキの伝記を持ち出すのも、今更と思われるかもしれない。だが、国制に関する近年の金字塔であるルビンスタインの研究、『メディチ家下(1434-1494年)のフィレンツェ政府』が史料分析から客観的な判断を下しているように、この時代を通じて伝統的な共和制度の大枠は決して見失われてはいなかった。またロレンツォ自身、自分のフィレンツェ社会での立場がミラノのスフォルツァ家とは異なっていることを弁えていた。彼は自らフィレンツェの支配者(Signore)でなく、市民であると断言する。そもそもメディチ体制を寡頭政的統治であるが故に、自由を〓奪したとの批判は当たらない。そのことなら同体制以前のアルビッツィ家主導の政治に既に顕著に現われている。元来、コムーネ制度の諸規定(statuti, provvigioni)は寡頭支配が前提にあり、この中に自由は存在した。ルビンスタインの実証的研究から教えられることは、官職選出の方法の変更、新たな評議会の創設、委員の任期延長などが、時には激しい反応を受けながらも、大筋としては法の枠内にあると認められて(これはかなり理解し難いことである)、メディチ体制ができ上がっていった事実である。単独支配の完成に失敗したアルビッツィ家の轍を踏まないことから、コシモは出発し、ピ***、ロレンツォはそのあとに続いた。メディチ家への関心は、数年前の「祖国の父」コシモの生誕六百年祭やロレンツォ自身の没後五百年祭を契機に高まりつつある。そしてある意味でメディチ家のロレンツォほどルネサンスのこの時代を体現している人物は、他にいない。彼を知ることは時代の総合的理解を助ける。また逆に時代全体の考察を要求している。彼は政治と文化の双方において時代の第一線にいた。この両分野に置ける彼の史的評価については、周知のように、古来、毀誉褒貶が渦巻いている。最前線にいることは勿論、その人が第一級であることを意味しない。評価をめぐる議論の走りは、ロレンツォ伝の古典となる作品を物したロスコーに対して、批判の矛先を向けたシスモンディの主張であった。シスモンディによれば、メディチ体制下の政治は中世的自由の奪取以外のなにものでもなかったし、文化的にもコシモ以前のアルビッツィ時代の芸術活動が評価されてしかるべきであった。今世紀に入ってからは、バロンがその初期の論文で、15世紀をメディチ家の観点から見過ぎていると批判、やがてその観点は、彼の著名な書、『初期イタリア・ルネサンスの危機-古典主義と専制政治との時代における市民的ヒューマニズムと共和主義的自由』につながった。この研究書はその根幹に、ルネサンス初期の芸術活動がなぜ創造性を発揮しているのかを、政治的に明らかにしようとする意図を持つ。政治面では一致してロレンツォの無関心ないしは無知が指摘され、好意的評価を得る余地はない。特に銀行経営の放漫性が問題になる。これロレンツォの全面的支援に終始している、先述のパルマロッキの書も、この方面での弁明はすっきりしない。ドゥ・ルーヴァは、優れた叙述を持つ、才気溢れる『メディチ銀行の勃興と没落(1397-1494)』で、父親ピ***の代からの経済手腕の無能力を指摘しながら、子ロレンツォのこれに輪をかけた拙劣さと監督の不行届きを認めている。他方で、経営業務に参画していた現地支配人の無責任な投資活動にも、大きな責任があることを幾度となく強調している。
- 1993-10-20
著者
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