フィチーノの技術(ars)論
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概要
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これからフィチーノの技術(ars)概念を考察するにあたって、先ず一つ注意を促したい。「技術」とはarsの訳であり、我々が言う狭い意味での一芸術などを疎外した-技術ではなく、ギリシャ語のテクネーと同様に、芸術活動も含めた広い意味での制作知(アリストテレスの言葉を使えばエピステーメー・ポイエーティケー)である。そして時には技術は狭義の制作知の枠を越えて、数学や天文学なども含むことがあるが、これはむしろ制作知として技術の根本概念の拡張と見ることができるだろう。技術活動とは、一般的に言って、芸術活動も含めた生産活動であり、同時に知的活動である。そしてこの制作知の模範となるものが形相(forma, idea)である。我々はこの論文の照準をフィチーノの主著『プラトン神学』に当てることにする。これには次のような理由がある。『プラトン神学』において人間が神・天使・霊魂(人間)・質・量という世界の存在の五段階の中心に置かれ、宇宙の中心あるいはきづなとして非常に大きな位置を占めているが、この人間の評価がフィチーノの技術論に影響を及ぼさざるをえなかったのである。そして、このフィチーノの人間観と密接に結びついた注目すべき技術論が展開されるのが『プラトン神学』第十三巻である。『プラトン神学』の大半は霊魂の不死性の証明に当てられているが、第十三及び十四巻ではこのことがsignaを通じて行われている。つまり霊魂の不死性とは単なる抽象概念ではなく、自らのしるしを現象世界にあらわしており、我々はこのしるしにおいて霊魂の不死性を見ることができる。そしてそのしるしの一つが第十三巻において考察される技術の概念なのである。この巻は非常に独自なものであるが、それを理解するためにも、また我々の視野を広げるためにも、先に他の巻における技術概念に一瞥を与えたほうがよいであろう。それは多様であるが、おおまかに分けると次の三つになる。1.『プラトン神学』において最も多い技術への言及は神における技術(職人としての神)についてであり、このことは大別して次に挙げる様々な観点から考察されている。神は世界の建築家(mundi architectus)として、自らの技術によって自然を創造し、維持している。自然の運動における調和と規則性、目的への指向性は、自然がこの最も完全なる技術(ars perfectissima)によって保持され動かされていることによる。さらに神は、画家が筆を使って絵を書くように、天体という道具を動かすことによって万物を形成する。この場合、職人の精神の中にある形相(forma)が道具や作品における形相よりも美しいように、神におけや形相は他のものの形相よりも明瞭である。そして熟練した職人が熟考(consultatio)せずに制作するように、完全なる技術の所有者である神は何の熟考もなく自然を創造し、維持している。さらに、職人の才能、意図、賢慮などが彼の作品に反映するように、万物の職人である神の顔は質料の中にも輝いている。人間の技術は自然を模倣するが、自然もまた最高の職人である神のもとに置かれているのである。2.霊魂(anima)もまた技術として精気(spiritus)と体液(humores)を調合し、肉体を形成する(fabricare, construere)。そして、養成や感覚の器官を道具として持っている。3.さらに、技術における素材(materia)の受動性から自然における質料(materia)の受動性が解明される。これらの技術に関する言及には新しいものはない。a.神を一種の職人とみなす考えはアウグスティヌスやトーマス等によって中世において様々に言及されており、その源泉はプラトンの『ティマイオス』におけるデミウルゴスの概念である。b.霊魂と肉体との関係を技術と道具との関係と比較する見方は既にアリストテレスにおいて見られる。c.質料の概念を技術のアナロギーを使って分析することもアリストテレスによって行われており、その源泉はまたもやプラトンの『ティマイオス』である。以上の考察によってフィチーノの技術に関する言及の多く(その大部分は神の技術に関するものである)が伝統的なものであるということがわかった。それに対して『プラトン神学』第十巻第三章(II, 223-6)における人間の技術に関する言及は実にオリジナルなものである。我々はこれを二つの部分に分け、それぞれの内容を紹介(A, B)並びに解説(a, b)することにする。
- 1989-10-20
著者
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