ダヌンツィオの『快楽』について
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概要
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一八七八年四月、プラートの王立チコニーニ寄宿学校生徒ガブリエーレ・ダヌンツィオは、父フランチェスコ・パオロへの手紙のなかに、次のようなマニフェストを書くのである。-ぼくの好きなもの、それは賞讃であり栄誉であり、そして人生なのです…… ガブリエーレ一五歳、まずはみごとな自己洞察というべきだろう。したり顔でしたためたこの言葉が生涯を通じてのみずからのマクシムとなることを、すでに強烈な自己顯示に憑かれて詩作の筆を進めていた早熟な少年の直観は、自明のこととして捉えていたと見てよかろう。もとよりここにいう人生とは、陽性な行動力に裏付けされた快楽追求の同義語と考えて大過ないだろう。浩瀚なダヌンツィオ伝を著したピ***・キアーラによれば、「眼はつねに栄光の幻影があり、自由奔放な人生の夢があり、その人生の祭壇には少年時より芸術と快楽という名のの感情が燃えていた」ということになる。じじつ学園の誇りと言われ、秀才ぶりをほしいままにしていた少年の関心は、プラートの街衢に群れるさまざまな女たちの姿態と、胸中に揺れる詩句との間を行き来していたのである。 ところで女優エレオノーラ・ドゥーゼとの愛の遍歴を物語った『火』をはじめ、ほとんどの小説の主人公に自己の分身を託するのをつねとしているダヌンツィオが、とくに『快楽』の主人公アンドレアに色濃く自画像を投影していることは、これが最初の本格的な長篇小説という事情からくる作者の思い入れを考えれば容易に理解できるだろう。 本稿は、ばら小説『快楽』(一八八九年)の主人公の軌跡を三つの段階に分けて考察するものであるが、まず本章では第一部の頁を中心として、快楽の子としてのアンドレアの基本的な姿を愛慾と美意識との絡みのなかに探りたいと思う。
- 1986-03-15
著者
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