ダヌンツィオとローマ進軍 : 一九二二年八月〜十月のダヌンツィオの政治行動
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概要
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ローマ進軍の最初の提唱者がガブリエーレ・ダヌンツィオであったことはよく知られている。私兵を用いて首都を制圧し、政治権力を握ることは、フィウメ進駐以来彼の政治構想の中心にあり、それを熱心に支持し期待する人も少なくなく、ファシストの幹部の中にさえいたのである。しかし、歴史の流れの中で、ローマ進軍はペニート・ムッソリーニによって実現され、ダヌンツィオは手をこまねいてそれを眺めていなければならなかった。もとよりそうなることを彼が望んだはずはなく、できれば阻止したかったはずであり、実際に阻止できると確信していたふしもある。ダヌンツィオの声望を利用してファシストの暴力的な政権奪取を食い止め得ると期待した人は多く、かつ広範囲にわたっていた。時の政府首班ルイージ・ファクタがその方向で動いていたことは疑いないし、彼がジョリッティのいわば代理人という資格で首相の座についていたことを考えれば、ジョリッティその人がダヌンツィオの抑止力に相当の期待をかけていたことも推察できるのである。民主党の党首フランチェスコ・サヴェリオ・ニッティは旧怨を忘れて詩人と手を組もうとしていたし、ダヌンツィオの側近を固めていたアナルコ・サンディカリストたちが、ファシズムの前進を阻もうと、躍起になって「コマンダンテ」に迫ったのは当然だが、労働総同盟の幹部である社会主義者たちも、七月末のいわゆる「合法性を守るゼネスト」がファシストの直接行動によって粉砕されたのちは、いっそう強くダヌンツィオの役割に期待をかけずにはいられなくなっていたし、一九二二年春のチチェーリンやグラムシの行動を見ると、コミンテルンやイタリア共産党の内部にも、同様の方向で局面打開を模索する動きがあったものと思われるのである。さらにファシスト党内にあってムッソリーニの方針を疑惑の目で見ていたマルシッチやディーノ・グランディのような人びとも、ひそかに詩人の動きに期待を寄せていたはずだ。ダヌンツィオの軍人としての、また政治指導者としての声望は、今日想像されているよりずっと大きく、また政界、財界、軍部、労働界のいずれにも一定の支持基盤をもら、しかも、戦後のいつ果てるとも知れぬ混乱と日常化したゲバルト騒ぎに疲れ切った民衆が、「救国の英雄」の登場を切望している情況は、名優ダヌンツィオにとってうってつけの舞台だった。ところが、これだけ条件が揃っていたのに、彼はむざむざムッソリーニの後塵を拝する破目に陥ってしまった。何がムッソリーニを成功させダヌンツィオに苦杯を強いたのか、以下ローマ進軍の時期、すなわち一九二二年八月から十月中旬にかけて、ダヌンツィオがどういう状況の中でどういう行動をとったかを、具体的に見ることにしたい。
- 1983-03-10
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