ヴェネツィアの貿易構造
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概要
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ヴェネツィアが中世地中海貿易の最も代表的な担手の一つであることはいまさらいうまでもない。だがその貿易構造全体についての均衡のとれた理解は必ずしもなされてはこなかった。そこで本稿では最近の研究成果の一端に触れながらそれについての粗描をおこなうことにしたい。一 ガレー商船とコグ船 ヴェネツィアの貿易については、ガレー商船に注意が集中しその役割が過大評価され易いが、丸型船(round ship)の果した役割も決してそれに劣るものではない。その貿易は機能の異るこの二種類の船が互いに補完しあうことにより成立していたのであり、ガレー商船の役割からだけではその貿易構造全体を理解しえないのである。本来軍用船として発達してきたガレー船は、高速がでるように細長く造られ、オールを動力としたので自由な操船が可能であり、漕手その他からなる多数の乗組員をもったので強力な防衛力を有したが、そのことから多額の航海経費を必要とした。一方丸型船には幾種類かがあったが、いずれにせよ荷を多く積むために多かれ少かれずんぐりした形に造られ、風力を利用して進む帆船であって乗組員の数は少く、速度、操船、防衛力、航海経費に関してはガレー船とは一般に対照的な性格をもっていた。さて一三世紀末-一四世紀初にかけて地中海の海運は新しい時代に入る。ガレー船ではガレー商船(大型ガレー)が出現した。これは在来のガレー船(軽ガレー)の幅と深さとを拡大して積載量を飛躍的に増大させ、それに二、三の三角帆をとりつけて動力としては帆を主に、オールを従にしたものであるが、強力な防衛力と自由な操船性とをうるために防衛要員と漕手とからなる多数の乗組員をもっていた。要するに従来の安全性に大きな積載量が加わったのである。このガレー商船はヴェネツィアにおいて大いに発展した。というのは、ヴェネツィアの潟やその基幹航路であるダルマツィア海岸では島や入江が豊富だったので、自由な操船のできるオール付きの商船が便利だったからである。一方丸型船ではコグ船(cog, cocca)が出現しひときわ目覚しい役割を果すようになった。これは操作の容易な四角帆を一つもったので少い乗組員ですみ、構造的に強力な舵をもったので操船が容易になるとともに、何よりも在来船に比べて大型化が可能だったのである。しかしヴェネツィアではその潟の底が浅いことによりジェノヴァのように超大型のものをもつことは困難だった。さてこうした造船技術の発展と並んで航海技術の上でも大きな発展があった。コンパス使用の普及により、地中海での冬季航海が可能になり年間航海数が増大するとともに、地中海から北海への航海の安全性が増大したのである。また地中海海運のこの飛躍的発展と並行して、商業形態が遍歴商業から定住商業へと移行するとともに、商人と乗組員との分離が進行し後者の地位が一般に低下した。一四世紀末には、ガレー商船の大型化が進むとともに、丸型船においてもその数が全般に増大し、また中でもコグ船の大型化が一段と進んだ。両者は相並んで発展していたのである。しかし一四六〇年以後になると両者の運命は別々の道をたどる。この時期になるとガレー商船の航海が最も数多くかつ規則的におこなわれるようになりその***期がもたらされた。だが一方大型丸型船の数は減少しその総積載量は半減した。大型丸型船の海運は他の諸国のそれと競合し、ヴェネツィアでは国家による諸制限の重圧の下にその競争力が著しく低下したからである。しかしこうした状況は一六世紀になると急速に逆転する。大型丸型船の海運の競争力は政府の積極的な保護政策により著しく回復した。だがガレー商船は急速に衰退しその地位を大型丸型船に奪われた。というのは、造船、軍事技術の革新により、大型丸型船の操船能力がガレー商船のそれに近づくとともに、前者の防衛力が後者のそれを凌ぐようになったので、航海経費の高いガレー商船による輸送が無意味になったからである。大型丸型船は帆装に大幅な改良を加え、一つの大きな四角帆(船尾に一つの小さな三角帆を付加したものもある)をもつコグ船から、船尾に一、二の三角帆、メインマストに大きな四角帆、さらに船首に小さな四角帆を備えたキャラック船(carack)へと移行し、その操船能力の飛躍的な発展をみたのである。また火砲が改善されて海戦におけるその使用が普及すると、ガレー商船は舷側が低いうえにその積載数が少かったから防衛力において決定的に不利になったのである。ガレー商船が急速に衰退したのは当然であった。ところで本稿ではガレー商船とコグ船とが登場してから退場あるいは主役の座を降りるまでの期間、即ち一四、一五世紀の二世紀間について考察することにしたい。
- 1981-03-31