ピランデルロの「哲学」をめぐって
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
ルイジ・ピランデルロ(一八六七-一九三六)の名を世界的かつ不朽のものとしたのは言うまでもなく戯曲『作者を探す六人の登場人物』であった。しかし今日ではすでに演劇史上揺るぎない地位と評価を与えられているこの戯曲も、一九二一年五月、ローマのテアトロ・ヴァルレにおける初演に際しては、観客の罵声と怒号のうちに幕を閉じねばならなかったのである。『六人の登場人物』は同年九月、ミラノで再演されたが、この時には打って変わって好評を博し、その後ロンドン、パリ、ニューヨークと瞬く間に世界の舞台を駆けめぐり、各地でセンセーショナルな反響を巻き起こすこととなった。ローマの劇場で観衆が示したピランデルロに対する露骨な反感と憎悪の激しさは、それだけ彼らの受けた驚きと衝撃が大きかったことを物語っており、『六人の登場人物』の持つ斬新性と革命性とを裏書きするものと言える。だがその革命性とは、この劇を一見したところ看取される劇中劇を用いた巧妙なプロットや台詞の随所に織り込まれた哲学的・観念的な思弁、いわんや登場人物達が繰り広げる一家族の悲劇的な物語それ自体にあるのではない。ピランデルロがこの戯曲によって意図したのは、「作者に拒絶された登場人物」という芸術的創造の一過程で作家の空想の中に生起したひとつの状況を、直接舞台上に提出することであった。この「不可能な状況」に投げ込まれた登場人物達が、よりリアルな平面において描かれた「俳優」や「監督」との間に生み出す緊張と葛藤に満ちた行動の中にこそ、この劇の真の意味が求められねばならない。このことはフランシス・ファーガソン(『演劇の理念』)の指摘を待つまでもなく、ピランデルロ自らが『六人の登場人物』に付した序文(一九二五年)の中ですでに明確にしている。「作者を探す登場人物」をそのまま舞台に載せるという全く斬新な企ては、いわゆる「リアリズムの逆転」をもって演劇そのものを解体し、その本源的な意味を問い直すものであった。ここに現出した新しい形の舞台とともに、演劇はイプセンに始まる近代自然主義劇が築き上げたコンヴェンションの呪縛から解き放たれ、それが本来持っていた固有のダイナミズムを回復したと言える。近代自然主義劇において目に見えない壁として舞台と観客の間に厳に設けられていた「第四の壁」は崩れ去り、舞台は日常の現実を模写するための閉ざされた空間から、「二枚の板とひとつのパッション」から成るより開かれた空間へと変貌を遂げる。舞台を日常生活における客間としてではなく、一個の劇空間として、言ってみれば「舞台を舞台として」呈示しようとする現代演劇の新たな地平が切り開かれたのである。演劇史的な意味においてピランデルロの果たした功績は概ね右の点に集約されるであろう。しかし『六人の登場人物』をはじめとするピランデルロの演劇を舞台の変革という側面からしか捉えようとしないならば、はなはだ皮相な見解を導き出す結果にもなりかねない。即ち、ピランデルロ劇の革命性を単なる演劇の方法論上の問題に帰してしまい、彼をあたかも「演劇の巧者」ないし「舞台の手品師」の如く考える見方である。無論、『六人の登場人物』の持つ卓抜な舞台性は疑うべくもないものであるが、同時に、ここに造出された舞台空間が作家の人間存在への深い省察の結果生まれたものであり、彼独自の存在観に支えられるものであることを忘れてはならない。ピランデルロはこの戯曲によって自らの存在の把握を最も有機的かつ直接的に表現する方法を見出したのであり、舞台は作家の内的世界との緊密な連関のもとに構成されているのである。ファーガソンの言う「彼(ピランデルロ)と、俳優と、登場人物と、そして観客とがすべてアナロジーによって共有することができる……行動の様式」とは、ピランデルロが人間存在の根柢に見ていた対立と葛藤を演劇の力学の中に組み込み、登場人物と俳優、観客の間の対立と葛藤に置き換えたものに他ならなかった。この独自の意味の行動即ちドラマが可能となるのも、その劇空間がピランデルロの内面と一体をなしているからである。ピランデルロが演劇にもたらした変革とそれによって開拓された新たな可能性は「それが舞台上の技巧的な才知によるものであるよりもむしろ、彼の実存的な生の把握に由来するものであることは言うまでもなく、ピランデルロ劇の革命性とは、そのような演劇の形而上学的性格」であると考えるべきである。ピランデルロ劇の独自性は、彼の成し遂げた演劇上の改革が存在の哲学と深く結びついているところにあるのであり、彼の演劇が今日なお「演劇とは何か?」という極めて根本的な問いの重みに耐え得るものであるとすればまさにこの故に他ならないだろう。いかなる作家においてもそうであるが、特にピランデルロの場合、右に述べた点から考えてその文学的所産を十全に評価しようとする時、作家
- 1977-03-20