ジョバンニ・ヴェルガ「野のくらし」試論
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概要
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ヴェルガの転向は、確かにイタリア一九世紀後半のもっとも注目すべき文学事象だった。彼と同時代のどの作家も、おそらくカルドゥッチでさへ、このように厳格できびしい芸術観はもっていなかった。芸術は彼にとって、感情や空想の問題である以前に、良心の問題であった。このヴェルガの文学的転向という言葉によって一般に意味されるものは、ヴェリズモ理論の受容と自伝主義の放棄、堅固で動かしがたい現実の真理の追求と誇張された青春期のロマン主義的熱狂の否定・厳しい倫理感の回復等々であった。さて、「ネッダ」(一八七四)は、ヴェルガの作品史の上で、この文学的転向の第一歩を証する作品として常に問題にされる。それは、なによりもまず、題材の選択においてヴェルガのヴェリズモへの傾斜がみられるからである。しかし、この作品は、文体論的に見ても、会話文のあるものに成熟期の作品につながる新しい手法の〓芽がみられはするものの、マンゾーニ的表現・語法やロマン主義的趣向がのぞいており、また、こうした新しい素材を前にしてヴェルガの姿勢においても、ヴェルガの青年期の作品から成熟期に至る過渡期の作品としての性格が濃厚である。「ネッダ」は、ヴェルガがそれまで追求してきたサロン小説的世界と彼がこれから志向しようとするヴェリズモ的小説世界との間に開かれた宙吊りの世界にあるものであり、これがこの作品の文学的位相である。ここで、「ネッダ」の導入部を眺めてみよう。なぜなら、そこには、新しい素材を前にしてのヴェルガの心理的位相が極めて象徴的にあらわれているからである。作者も、暖炉のそばの肘掛け椅子に身体をあづけて、思考の気ままな飛翔を楽しんでいるのであろう。消えかかった葉巻をくわえ、目は睡魔に誘われて半ば閉じ、力のゆるんだ手許から火ばさみがころげ落ちる。ファンタスティクな世界。作者の分身は遠く不思議な彼方を駆けめぐる。そして突然、〈魂がこうしたあてどのない遍歴をつづけているとき、おそらくは、あまりに身近かでハジけた炎が、かつて私がエトナの麓、ピーノの農場の途方もなく大きな暖炉のなかで燃えあがるのを見た、あのもうひとつの巨大な炎を思い起させ〉るのである。ここから「ネッダ」の物語が始まる。この多分に文人趣味的レトリックを感じさせる導入部からも、作者の深い疲労の色と遠い過去への憧憬とを読みとることができる。青年期の狂気から醒めた作者のうちに、遠いシチリアとそこで過ごした幼少期の甘美な思い出がよみがえってくる。「ネッダ」を執筆しているミラノにしろ、かつてシチリアのカターニアという地方都市にあったヴェルガにとっては、海のむこうの、いわば、彼の意識において異郷である本土の華やかな大都会であり、彼のサロン的小説世界のシンボルのひとつであった。「ネッダ」でヴェルガは、今や実生活の上でも、そのなかにどっぷり浸っているこの文人的・貴族的・サロン的世界、かつて異郷であった本土のこちら側に身をおきながら、一方、彼の分身はノスタルジックな回想のなかで想像力の翼にのって、故郷であるシチリアの小村の、貧しく慎ましやかで素朴な日常的世界をさまよっている。「ネッダ」におけるヴェルガの心理面・情動面におけるこうした宙吊り状態は、この作品の文学的位相と正確に対応している。「野のくらし」(一八八〇)を構成する短篇のひとつ「グラミーニャの愛人」の序文となったS・ファリーナにあてた手紙は、ヴェルガがただ一度、ヴェリズモ派の立場と完全に一致する自己の立場を明らかにした唯一の証書と考えられる。ヴェリズモ理論受容の態度を明白にしたヴェルガのこの短篇集における文学的位相と、かつての彼のサロン的世界のシンボルとしての「本土」および「ネッダ」以後の彼にとって民衆的世界を代表するものとなる「シチリア」に対する意識・姿勢との照応関係に照明をあてつつ、いくつかの代表的短篇をとりあげて眺めてみよう。
- 1974-03-20