花袋・独歩・抱月とダンテ『神曲』
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概要
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島崎藤村はダンテ没後六百年祭に因んでの談話で、明治学院時代、戸川秋骨と寄宿舎に机を並べていた頃、『神曲』の英訳を買って来て「曲りなりにもとにかく通読した」と述べている。自分たちの青春時代のダンテ熱、ルネッサンス熱と、大戦前後のドイツやフランスにおけるダンテ熱を述べたあとで、その談話のしめくくりに翻って思ふと、日本の現代の人々は余りに目先のことのみにあくせくし過ぎてゐる。私はダンテ六百年祭を機会に永遠への大詩聖の偉大な心を辿りたいと思ふと記している。この談話は東京朝日新聞(大正十年九月十四日)に発表され、編集者によって「永遠の心を辿れ」と見出しがつけられたのは、藤村のこの結びのことばを採ったのであろう。大正十年九月といえば藤村はフランス滞在(大正二年五月-大正五年四月)の後、帰朝。長篇小説「新生」第一部(大正七年五月一日-→十月五日。「朝日新聞」連載)、第二部(大正八年八月五日-→十月二十四日、同上)を発表しおわったあくる年である。この作品が、彼の中年における不幸な愛欲事件を素材とした告白小説であることは周知のことであるが、(そしてその事件が藤村を敢えてフランスに行かしめた動機でもあったのであるが)、一方、この作品がダンテの『新生』及び『神曲』と関わり深いことは、人生の道の半ばにおいて暗い森に迷った藤村の「地獄体験」とそれからの再生を形象化した点において認められる。藤村にとってダンテはその初めて「神曲」を通読した若い日から「永遠の心」を持った大詩人として意識されていた。ダンテにとって「新生」から「神曲」に及ぶ永遠の女性はベアトリチェであるが、藤村も若き日に藤村なりのベアトリチェ体験を持ったのであった。藤村たちの若い心に影響したプロティスタンティズムのキリスト教において、永遠(eternity)という概念は神のもの、絶対神のことであり、無限の時間の連続や、無限の空間の広がりを示すendlessやinfiniteという概念とははっきり区別されている。時間や空間の概念はあくまで人間のつくった相対的なものであるのに対して、「永遠」は絶対的なものである。ところが古来、日本人はeternityという概念とendless, infiniteという概念を絶えず混同し、一つのものとして考えてきた。これは絶対神というものを持たない日本の自然的、精神的風土のもたらした必然であろう。ダンテの『新生』および『神曲』が近代の日本にもたらした最大の賜は、こうしたキリスト教思想による永遠の概念であり、その中世紀のマリア信仰に基づくといわれる永遠の女性の観念であったと思われる。藤村もさきの談話のなかで言っていることであるが、キリスト教主義の教育を受けた彼らは、宗教的に伝えられたものに「全く文学的にその偉大さに接した」のであった。しかもさすがにキリスト教主義の教育を受けただけあって「永遠」という概念を以て、ダンテの精神を追想しているのである。
- 1973-03-20