チョーサーのイタリア文学との出合い
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概要
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チョーサー(Geoffrey Chaucer)(一三四〇-一四〇〇)とイタリア文学との出合いは彼のイタリア旅行によって生じた出来事であったが、文学研究の立場からすれば、これに対する三つの視点が考えられよう。その一つは、先ず、この事件をイタリア文学の伝播普及の一つのケースとして見る比較文学的視点である。そして、この出合いはイタリア文学とイギリス文学の最初の接触でもあったのであるから、イギリス文学に対する外国文学の影響という逆の側からする見方も成立し得ることは勿論である。事実、この事件に関係するこれまでの調査研究の殆どはこの立場に立つものであり、われわれがこゝで参考し得る文献が事実上英米のものに限られざるを得ないのも偏にこのような事情による。第二に、一般文学の名で呼ばれることもあるが、広義の比較文学に関係する視点、すなわち、この事件をイギリス文学、フランス文学、イタリア文学の三つの国の文学の交わりとして捕え、そこにイギリス文学の中でのイタリア文学とフランス文学の対決を見る立場も認められよう。つまり、こゝではそれが第一の場合よりもより広い展望の中で、ヨーロッパ文学の伝統に直接関わる問題として眺められることになる。しかしながら、普通、チョーサーのイタリア旅行といえば、ヨーロッパ文学史の中では精々ごく簡単な言及がなされる程度にとどまっているのが現状である。第三に、イタリア文学がチョーサーにどのような影響を及ぼしたかを対象とする第一の視点とは別に、チョーサーがどのような姿勢態度でイタリア文学に臨んでいるか、その出合いの場となったイタリアが、そしてまた、その出合いのきっかけを与えたイタリア旅行そのものが彼の文学にどのような影を落しているかを知ることによっても、彼の文学の本質に迫り得るとする文学批評の立場もまた十分の根拠を持って認められねばならない。このようにチョーサーとイタリア文学との出合いは、種々の観点からの考察を許し、且つまた、問題の発展する余地を今後に十分残している興味ある事件である。われわれはこのような視点の存在し得ることを確認した上で、以下に事件のあらましを辿り、その意義を考えて見たい。
- イタリア学会の論文
- 1969-01-20