「修養」と「教養」の分離と連関に関する考察 : 1930年代の教養論の分析を中心に (<特集>教養の解体と再構築)
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概要
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1990年代の高等教育改革は多くの教養に関する議論を生み出した。教養とはPaideiaやBildungに相当する日本語である。それは1910年代から今日まで知識人の理想的資質を表現する言葉であり、今日の教養に関する議論は近代日本の歴史上、第4度目の興隆と位置付けられる。今日のポスト大衆化段階の高等教育における教養に関する議論の特徴としてはその主なる関心が、学問研究よりもカリキュラムや教育にあることである。このことは戦後の教育学が最大の課題の一つとしてきた一般高等教育(国民的教養)の創出に向けての妥当な回答といえるのであろうか。この問いへの思想史的前提を探求するため、本稿は人格形成の二つの様式である修養と教養の分離と連関を、両者の分離から教養という現代的意味が確定された1930年代の議論に遡って分析する。修養とは前近代的な人格形成思想であり、それは過度な瑣末な知識を持つことを戒め、勤勉と誠を説いた。 1930年代には年配の世代は、教養と修養とほとんど同じ意味でしようしていたが、両者の違いは明白であった。教養は全体的人間性を意味し、修養は知性や知識に優先して道徳の重要性を説いていた。教養は近代化過程における西洋文化の影響下で生み出され、一方修養は中世以来の自国文化に根源をもつものである。 教養と修養はまたその科学との関係においても区別され、教養は保守性と革新性との均衡を強調する点で、修養と科学の中間に位置づけられていた。教養と修養の決定的な違いはその主知主義にあった。そのため教養論者は当時の教育が知育偏重と見なされている状況を批判した。教養論者にとって知識に過多はなく、知識なしに適切な判断をなすことは不可能なことであった。1930年代には教養はその学問研究との連関において、人格形成の二つの局面から議論を展開していた。一つは学問の専門分化に対応するための学びの幅に関することであり、総合的で一貫した知識と関心を持つことが推奨された。もう一つは、専門分化した学問研究の過程において獲得される教養の深さに関することであり、専門的研究における無私の努力が人物を鍛錬し、尊敬に値する人格を形成すると考えられた。学問的鍛錬による人格形成という点では、教養は修養たる種の関連性をもっていた。 修養と教養の分離と連関の歴史的分析から、知識の幅のみならず、「真の」教養ないしは人格形成としてとらえらえてきた深さと学問的鍛錬のためにも高等教育機関における意味ある学びを考える必要があるといえよう。
- 1999-09-30
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