郡役所廃止に伴う地方教育行政様式の転換と学校経営 : 「自由教育」解体期の千葉県を事例に
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概要
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1926年地方行政制度改革が及ぼした小学校経営への影響に関する研究 これまで1923年の郡制廃止及び1926年の郡役所廃止にそれほど関心が払われなかった理由には、もともと不完全なシステムでしかなかったこと、さらに当時論点となり得なかったことなどがあった。しかし、教育に関しては事情が異なる。郡は町村立小学校に対して、良かれ悪しかれ影響力を持っていた。郡長は小学校及び教員の直接監督者として、県知事への教員人事の内申権という職権をたてにして、管轄郡内の校長・教員を完全に掌握していた。他方で、郡は地方名望家から小学校教育の自律性を守るはたらきもしていた。したがって、郡役所の廃止は様々な意味で小学校の経営に影響を与えた。第一に、多くの県で教員の内申権が校長に移ったことで、校長の権限が強化されたこと、これは同時に校長が学校内の行政官的役割を担うことにつながり、教育的指導者としての校長像が変容を被ることとなった。第二に、中間支配を廃したことで県による画一的な行政がなされるようになったこと。これは各小学校が土地固有の利害から自由になることを意味したが(義務教育費国庫負担法がそれを完成させた)、他方で運営面の画一化を促した。多くの県では全県レベルの校長会が組織され、それらの組織を通じて県の指導方針が直接伝達されて、各学校の経営に反映されるようになった。とくに、1926年の改正以前に各学校単位の自由な教育実践が一定程度生み出されていた千葉の例には、画一的行政のマイナス効果が著しく認められる。1926年の地方行政改革は、行政と学校経営との関係が変更される画期ともなったと言えるのである。
- 1998-09-30
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