自分・この眼・世界を「好き」と言えるまでに(<特集>障害の受容と理解)
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概要
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1922年から今日までの全国盲学校弁論大会(戦前は盲学生雄弁大会)での生徒の弁論等を概観して視覚障害者の「障害認識」について考えた。1930年代には、15年戦争に向かう国策に塗りこめられ、尽忠愛国を訴え視覚障害を嘆くなの論調が続いた。戦後になって民主主義を基調として他者とのかかわりの中で自己認識を深めていく優れた主張が広がった。近年は、障害がある今の私が好き、この眼が好きという論旨の弁論が生まれてきている。障害受容をめぐる教育の課題として発達段階に配慮した障害認識教育が必要であり、視覚障害からくる教育的ニーズにこたえることが障害認識を深め、豊かに生きることにつながる。さらに中途失明者へのケアの必要や、保護者の意識の変化も指摘した。
- 全国障害者問題研究会の論文
著者
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