内輪式蒸気船「先登丸」について : 安政末・文久期徳川幕府の造船政策と関連して(明治の企業家 杉山徳三郎の研究)
スポンサーリンク
概要
- 論文の詳細を見る
幕末文久期に徳川幕府が造った蒸気船「先登丸」は幻の船である。その存在は勝海舟『海軍歴史』中の表「船譜」などごく少数の史料によって一部の研究者には知られていたが,この船の概要,建造の状況など一切が不明であり,従ってこの船を正面から取り上げた研究は現在までのところ発表されていない。ところで明治の企業家杉山徳三郎に関する伝記的史料『商海英傑伝』はこの船に触れて,「文久三年汽船先登丸始て君の手に成る,是を我邦汽船製造の嚆矢とす。奉行駿河守之を江戸に致して幕府に献ず。君自ら之が汽鑵師となりて以て航海の途に就く」,と短く記しており,日本の造船史上においてこの船が無視できない研究対象である可能性を暗示している。従って,この企業家の歴史を通して,幕末・明治の所謂我が国産業の黎明期について研究している筆者にとっては,この先登丸は避けて通れないテーマの1つとなっている。本小論はこの『商海英傑伝』を基礎に,これに新たに収集した史料を加えて可能な限りこの蒸気船の姿を再現し,それを手掛かりとしてこの船の建造の由来や背景を探ることを試みたものである。その結果この船は,安政期にわが国にもたらされた2つの造船技術,即ち豆州戸田においてロシヤ人から学んだ船体建造技術と,長崎において和蘭人から伝習した蒸気機関の製造技術が,文久期に接合されて誕生した君沢形内輪式蒸気船であり,その出現の背景には幕末の緊張した政治情勢の中で,揺らぎつつ実行された幕府の造船政策が存在したと見られることが明らかとなった。約2年半と極めて短い船齢で姿を消したこの船は,それでも幕府の蒸気船第1号であったし,後の軍艦千代田形を軽て明治期以降主流となる近代的スクリュー式蒸気船につながる流れの先駆け(船登)ともみなさるべき船であった。
- 2002-12-31
著者
関連論文
- 筑豊石炭一括販売所について(明治の企業家 杉山徳三郎の研究)
- 明治の企業家杉山徳三郎の研究『筑豊炭田の開発とスペシャルポンプ』--明治13・14年の「筑前炭山日記」による
- 内輪式蒸気船「先登丸」について : 安政末・文久期徳川幕府の造船政策と関連して(明治の企業家 杉山徳三郎の研究)
- 明治の企業家 杉山徳三郎の研究 : 創成期の大津造船所と兵庫製鉄所について : 徳三郎史料による史談会資料の検証
- 明治の企業家 杉山徳三郎の研究 北九州諸炭坑の機械化と目尾炭坑の開坑
- 論説 明治の企業家 杉山徳三郎の研究「官営横浜製鉄所について」
- 明治の企業家杉山徳三郎の研究